不動庵 碧眼録

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<<   作成日時 : 2017/02/08 16:29   >>

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人ゆえに最狂だと思うことがある。それはは「思い通りにならないことを思い通りにしようとする」こと。
禅をするようになってからよく分かったことがある。人が蓄積して病になる意味での「ストレス」なるものは、本来自然界では存在しない。
動物は「その今の状況」を自我なくして完全に受け入れるから。もう少し暖かかったら、もう少し涼しかったら、もう少し食べ物があったら、もう少し水があったら、もし足を怪我していなかったら、もし病気でなかったら、もしもっと体が強かったら、もし空が飛べたらなどなど、動物は決してそんなことは考えない。ところが人間に限って、本来そこにはない状況、条件を時には強く妄想し、そのギャップに対してストレスを感じる。人の想像力は凄まじいものがあり、それが創造的に用いられたときは他の動物では決してできない機能や性能を備えられるようになったり、宇宙に行くことができるようになったりと、素晴らしい効果を発揮するものの、その逆、妄想によって人を殺したり自分が狂気になったりすることもまたある。

更に言えば今と昔を思い出して比較しはじめると絶望的だ。1ミクロンも動かせない昔と1ミクロン先も見えない未来に思いを馳せた瞬間に、本来唯一自由が利く「今ここ」から乖離してしまう。自由があるはずの場所から動かし難いところに自ら心を飛ばして行ってしまうのである。
「ありのままのそのまま」をスッと受け入れられないのは「自我」があるから。「ありのまま」が四角で「自我」が丸だったら入らない。そんな感じだろうか。
禅では「ありのまま」は水のようなもの。「自我」もないが、あったとしてもやはりそれも水のようなもの。そこに差異がないことが分かれば禅的にはまずまずの精進と考えられている。

神の恵みか悪魔の誘いか、人間には他の動物には決してない抜群の想像力がある。まさにその場にいるような、まさに思った物がその場にあるかのように想像できる。そしてそれが大層甘美な香りを放っているが故になかなかどうしてそれを断つことができない。本当に甘美な妄想だけならいいのだが、サディスティックな原始本能も起きてしまうから余計にたちが悪い。人の苦しみは大方、豊かすぎる想像力が正しく使われていないところにあるのかも知れない。

過干渉という言葉がある。親から子供に対することが多いようだが、それ以外にも多くある。私もよく迷惑していることがある。
色々調べると、する側がされる側に対して絶対の優位に立ちたい、制限したい、制御したい、周知し尽くして管理したいなどなど、どうも所有欲に端を発しているようだ。
過干渉が過ぎると相手に対して発する言葉は命令は言うまでもなく、不平、不満、否定、注意、警告、揶揄、皮肉、愚痴ばかりになる。言っている方は優位に立ったと妄想しているだけか、それが通らずストレスを溜めるだけかどちらかなのだろうが、言われた相手やその周囲にはエラい迷惑でしかない。
そんなことを言っても何一つ通るでもなし。自分の妄想の思い通りにならない事で更にストレスを溜め、顔が阿修羅のようになる。

口から否定的なものばかり出るとそれがその人の顔つきや雰囲気に出てくる。雰囲気が病的というのか何と言うのか。普通に怖く近寄りがたい。「スターウォーズ」で言えば暗黒面というのか(笑)。
新約聖書のマタイ福音書にもこういう記述がある。「聞いて悟るがよい。口にはいるものは人を汚すことはない。かえって、口から出るものが人を汚すのである」私は基督教徒ではないが、これは真理だと思うので、どうしても口から否定的なものを出したいときは極力、辛らつな皮肉程度に収めたいと努力している。

あるがままを十全にあるがままに成さしめるためには努力すべきで、それに当ってはあるべき姿すらも妄想と思い、あるがままにし尽くすようにしている。だから今ここ以外は水の流れのように流し尽す。想いが多く自我が固ければ、沢の流れのように険しく、舟は愚か魚も自由に泳げなくなると言うもの。本来泰然と流れる大河のように流れそのものであるべきではないかと思う。
本来我が身すらもままならぬもの。生まれた日時や場所、死ぬ日時や場所、運命の出会い、災難、いずれも自分では何一つ決められない。にもかかわらず狂気のように他人に取り憑いて詮索したり干渉したところで自我が病的に強くなるだけで何も良いことはない。
人は他人によき影響を薫香の如く及ぼせるよう、陰徳を積むが如くして身を慎んで勉学に励んだり修行に打ち込んだりする物だと心得ているつもりだ。それに惹かれる人がいるかどうかは我が身の関知するところではなく。間違っても自分のやり方や考え方を押しつけようと思ったことはあまりない(多分)。

昨今、ちと思うところあり。あまりに愚かにも昏すぎ、近しい者に悪影響を及ぼしている事があるため、愚痴とは思いつつ徒然長々と書いてしまった。書いてどうなるものではないが、人を殺すほどの妄想故に正しく用いれば自他をよく扶けることを今一度心すべきと思いつつ。


平成二十九年如月八日
不動庵 碧洲齋

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