不動庵 碧眼録

アクセスカウンタ

zoom RSS 民度に想うこと

<<   作成日時 : 2017/02/09 18:09   >>

トラックバック 0 / コメント 0

昨今「民度」なるものがよく出てくるので、ちょっと思うことを少し。
私は米国と豪州にトータル5年弱程度住んでいたことがあります。
どちらも移民国家としては世界的に最も有名な国家です。
米国には留学で、豪州には仕事で住んでいました。

日本は世界で最も古い、かつ現代まで継続している国家です。
多分石をかち割って道具を作っていた頃からずっとここに住んでいる人の子孫が大半でしょう。
もしくは弥生時代に大陸から来たグループ。
どちらにしてもなかなか標準的な人間が実感できるタイムシフトを大幅に超越した遥か過去から、私たち日本人のほとんどが住んでいることは間違いなく。
もしかしたらそれが「悠久の時の流れ」として長年日本人が蓄積してきたものとして、私たちの日々の生活習慣にまで影響を及ぼしているのかも知れません。

画像


米豪で一番衝撃的だったこと。
それはほとんどの人が3-5世代前にどこからどんな事情で来たのか、大抵は知っているという事。
その土地にやってくる前の祖国にいたときの、先祖の様子まで知っている人も多く。
つまり彼らの先祖は「手が届くところにいる」感じでしょうか。
もっと言えば、今足を踏んでいる国家も政府も、自分の感覚が及ぶ程度の過去にいた先祖たちが人工的に創り上げた組織であるという意識を持てるという事。

現在の日本は正統な政府がありますが、維新前の幕府から正しく継承しており、それは平安末期、朝廷から権限を与えられて以来、鎌倉幕府からずっと継承されてきているもので、これまたやはり私たち国民ひとりひとりの感覚を遥かに超える昔のことです。皇統に到っては伝説の領域と言えど間もなく建国2677年というとんでもない長さがあり、始祖に想いを馳せるのも難しく。

日本人が国や文化伝統を考えるとき、それはもう私たち常人の感覚では到底たどり着けない、遥か昔から営々と続く川のようなものに身を委ねる気がします。
しかし米豪のような国はその建国から手に取るように分かる歴史の短さです。
何を言いたいのかと言えばそれは「自分たちの力によるところが大きい」と感じられるかどうかと言うもの。米国の240年足らず、豪州の110年少々というのは「自分たちで作り上げてきた」「人間の手に成る国家」と感じることができる長さではないかと思う。故に民主主義も市民ひとりひとり、国家に対する義務と権利という意識が高いのではないかと想像する。

翻って日本人の場合はどうもそういう意味での国家に対する義務や権利という考えが定着していない気がする。悪く言えばずっとお上に従うことで無難に過ごしてきたため。日本が初めて選挙を行ってから120年少々。割と長いと思うかも知れませんが、その10-20倍の長さは領主を頂いて付き従った政体が続いたことを考えるとやはり120年というのは随分短い。

私はよくロシアに行きます。ロシアはソビエト以前は数百年に亘りロシア帝国が支配していました。そしてソビエト連邦からロシアに代替わりして26年になりますが、未だに国民は選挙意識が低い。8人いると毎回選挙に行っているのはせいぜい1、2人でしょうか。そして1、2人が数回行ったことがあり、あとは行ったことすらないという体たらくです。政体が変わって国民の意識も一新して新しい主義が国民の血肉になる程に理解して行動するようになるには、取り敢えず四半世紀ぐらいでは全然足りないという事実を見せつけられました。

クレムリン宮殿
画像


そう考えると日本人の民主主義に対する見識というものも実はまだ全然大したことではないのではないかと考えたりします。世の中の悪を外に求めること甚だ大。欧米の民主主義国家も例えばメディアに対して怒りの矛先を向けることもありますが、そういうときはやはりデモを行ったり反対キャンペーンをしたり政治家に強く訴えたりと、それはもう日本の比ではないようです。日本人はおとなしいと言いますが、民主主義政体にあって能動的ではなく受動的であることはある意味悪ですらあります。幸い日本人は受動的でも十分にやっていけるある意味特殊能力がありますが、近代国家で民主主義国家としてはいささか物足りないというものです。ま、日本人の場合は何でもデモをしたりキャンペーンをすれば良いわけではないという空気はありますが。記述のこととは全く逆になってしまいますが、和を尊ぶという日本人の哲学は世界に冠たる、推進すべきしそうでもあると思ったりします(笑)

民度が高いというのは何も静かにおとなしくしていることではありません。それは確かに世界に在る様々なマナーやエチケット、ルールに抵触する確率が低くはなりますが、思うに本来、民度はそういう測り方ではない気がします。国民ひとりひとりが(もしくは確率として多くの国民が)その民族に立脚している英知を働かせて能動的に動き、社会をよりよくしていくということが本来あるべき民度のような気がします。

決して長い歴史を持っていることそのものは、神の御加護かどうか分かりませんが、運がいいという事も多々あります。故にその継承してきた英知を建設的な方向に用いなければ意味が無い。その前に日本人としての自覚を持たねばなりませんし、歴史なり何なり学んで体感する必要もあります。「日本のスゴさ」だけを喧伝するのはただの愚かしい行為です。「日本のスゴさ」を国民ひとりひとりが建設的な意味において体現する、これが民度が高い、と私は考えます。


平成二十九年如月九日
不動庵 碧洲齋

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
民度に想うこと 不動庵 碧眼録/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる