不動庵 碧眼録

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zoom RSS 社杜に想ったこと

<<   作成日時 : 2017/02/27 08:31   >>

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昨日は所用があって珍しく都内に繰り出しました。
まず最初の行き先は原宿にある東郷神社。
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さすがというのか何と言うのか、神社の前を横切る地元の人たちは老若男女を問わず、必ず一礼をして通ります。
朝早いという事で人も少なかったのですが、きれいに砂紋ができている上に赤い絨毯が門から本殿まで真っ直ぐに伸びていました。多分結婚式でもあるのでしょう。
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参拝後に少し境内を散策、と言っても大して大きな神社ではありません。
神社自体、創建は1940年、昭和15年で戦時中に空襲で焼けて再建されたのは昭和39年、由緒正しい神社と言うほどには古くありませんが、祭られている主祭が東郷平八郎元帥、日露戦争の時、ロシア帝国海軍を完全撃破した大日本帝国海軍の連合艦隊司令長官でした。近代戦争に於いてこれだけ不利な状況下で、ここまで完全に勝ったケースはありません。一武人として私は東郷元帥の人徳に深く感銘を受け、元帥のような人間になりたいと思っています。
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その後、竹下通りを経て明治神宮へ。
以前はいつ行ったのか思い出せないぐらい久し振りの参拝です。そもそも原宿にさえいつ来たのか思い出せないほど。
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日本人はあまり意識しませんが、世界に冠たる我が日本の首都、その中心地たるや大自然がそのままの姿であることはある意味驚きです。いうまでもなく皇居です。皇居を始め明治神宮やその他御所など、最低限の手入れしかしていない自然が国の中心であるという事実は、日本人の本質を捉えているように思います。
久々の明治神宮、やはり巨大ですね。本殿にたどり着くまでに結構時間がかかりました。まだ朝早かったため、それほど観光客も多くはなく、ゆっくり歩いて落ち着いて参拝できました。

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参拝後、ちょっと観察してみたかったことがあったので、本殿の横、絵馬が掛かっている辺りから小一時間ずっと参拝客を眺めていました。
私の後ぐらいから徐々に人が増えてきましたが、多分3割強ぐらいは外国人だったように思います。
さすがにイスラム教徒とおぼしき人たちは参拝しませんでしたが、欧米人の8割ぐらいは普通に手を合わせていて、そして意外にも作法がしっかりしていたのに驚かされました。
社杜を通ってくる間に感化されたのかどうかと想ったものです。

私が見たかったのはこれです。日本神道は参拝者がどこの国のどんな宗教を信じている者であっても寛容に受け入れる。これが日本の神髄だと思っています。昨今、目を怒らせ、青筋を立て、愛国心を煽る風潮が見受けられますが、そのようなメラメラと燃え上がる炎の中に日本はありません。その手の炎は暖かくもなく、照らすどころか闇を増やすばかりと心得ます。
太古の昔から脈々と続いてきている日本はそんな浅はかなものではなく。始祖神武天皇から数えて2600年以上も続いてきた日本、それ以前から続いてきている風土の長さを想えば、たかだか70年程度の自虐史観如きで滔々と流れる悠久の大河のような精神と伝統が澱むはずもなく。あたふたと火を噴いている人たちは日本の歴史や伝統ではなく、自分に自信がない人ではないかと勘ぐってしまいそうです。
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絵馬もよく拝見させていただきました。
日本語のみならず、英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、タイ語、ベトナム語、中国語(本土/台湾)、ハングル語などなど、あらゆる言語で書かれていました。中国と韓国に限って言えば、歴史の教科書では明治天皇はスターウォースに出てくる銀河帝国の悪の皇帝みたいに書かれているはずですが、その帝に頼み事をしている始末です。結局一部の和製噴青が憤っているのはしょせん、その程度の事実に過ぎない。私も劣らぬ愛国者のつもりですが、そういう浅慮軽薄の輩と同列にされると気分が悪い。
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・・・と、そこまで言っておきながら言うのも何ですが、中国人観光客何とかならんか。正直、あの自撮り棒をバキッと折りたくなる衝動に駆られること数度、大声にキレかかったことも数度、あり得ない無神経、非常識な写真撮影を見て殴り飛ばしたくなったことも数度。明治神宮でここまで忍耐を強いられようとは思いもよらず。私はネット上の民族主義者とか愛国主義者を僭称する連中よりは数百倍は国際的で寛容なつもりでいますが、正直昨日はかなり腹に据えかねました。
日本もオリンピックのあたりまでは今の中国とさして変わらないような大衆文化でしたが、少なくともそれに関係なく、神仏に対してはそれなりに敬虔であったはずです。そしてこの感覚は万国共通です。彼らの資質が大幅に変わるとは全く思っていませんが、ネット上では確かに中国人同士でこの民度の低さを問題視している人もいるので今後、僅かでも改善していただければと思います。

異国の他宗教の外国人までが手を合わせられる宗教。まあ、これを果たして宗教というのかどうなのか分かりませんが、これを自然体得し、生活の中に溶け込ませている日本人こそが、本当の意味で世界の平和について大きなヒントを持っているといつも思っています。

平成二十九年如月二十七日
不動庵 碧洲齋

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