不動庵 碧眼録

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<<   作成日時 : 2018/02/12 16:54   >>

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先日息子と98歳で他界した妻の祖母の葬儀のために名古屋に行きました。その道中での話。
東京駅に行くまで人の流れを眺めていましたが、ふと息子がサラリーマンたちが電車を降りてすぐエスカレーターを駆け上がっていくような急ぐ様を見て、年相応ではない見苦しさを覚えたと言いました。合理的に考えれば1本速い電車に乗れば良いだけで、さもなくば出社してから一つ二つ、自分のタスクを簡素化か合理化すれば済むこと。
それらをして尚、まだ乗換のためにあくせくしなければならないとしたらそれは社会に巻かれているのか心の余裕がないのか。いずれにしても川の急流で藻掻き苦しんでいるようなものです。

知り合いに元省庁勤めの方がいます。多分それなりにいい大学を出て勤めてこられてきたのだと想像しますが、そういう業界の縮図なのか、なんでも真っ先に自分が一番にやらないと気が済まないようですし、たまの食事などでも自分を真ん中に据えないと気が済まないのか、これみがよしに膨大な知識の開陳が始まり、辟易させられることも多々あります。ま、国を動かしている主要な人たちにとってそういう行動原理が標準ではないことを心から祈りますが。そういうあくせくした人を見るに、私は老後を迎えてもゆったり構えたいと感じるものです。

細かい裏道を駆使していかに早く目的地の到着するかということに執心する人がいます。私も多少は裏道を使うこともありますが、多用は避けてなるべく早く出るようにしています。裏道は事故のリスクが高いというのもありますが。

雨上がり、歩いていると水たまりがあります。もちろん普通は避けますが、靴で問題が無いほどに浅い場合はいちいち避けたりせず水たまりの中を歩きます。

エスカレーターの場合もよほど急ぎで無い場合以外は歩きませんし、普通は階段を使います。

誤解を避けるために言いますが、急ぐことが悪いわけではありません。急がねばならない場合の選択基準、頻度に注目したいという事です。昔武士たちは戦場やよほどの火急の用事でもない限りは走らなかったそうです。これは何となく理解できます。

何を言いたいのかというと、その人の行動基準や立居振舞からその人の品格が見えてきます。その人の志の在り方が見えてきます。例えて言うなれば「威ありて猛からず。和ありて同せず。剛ありて衝かず」。歩くときはあまりセコセコせずに、なるべく威風堂々、王道を征くが如くありたいと思います。

私の場合ですがなるべくこのように心掛けています。いつもできなくともそう志すようにしています。真っ直ぐ前を見て胸を張り、それでいて自然体で柔和に構え、できるだけ真っ直ぐ歩く。普通に見たら姿勢のいい歩き方ぐらいに見えると思いますが、息子は道中に私の歩き方を自信と誇りに満ちた歩き方をしているとのことでした。虎のように、獅子のようには歩いているかも知れません。

私の自慢話になってしまいそうですがさにあらず。その逆、信じがたい程に姿勢の悪い人があまりにも多すぎる、ということです。歩き方然り、立ち居ずまい、お辞儀に至るまで、「これは・・・」と思える人が少ない。武芸をしているので立ち居ずまいが美しい人は常に無意識に探します。仮に眼鏡にかなう人が別段武芸をしていなくてもそういう人を見つけられたときは大変得をした気分になり心の中で手を合わせます。

息子には正しい姿勢、正しい歩き方、正しい立ち居ずまいは品位を保ち、人となりを見せると言いました。特に言語が通じない海外に行った場合、付け焼き刃のマナーでは全くダメで、長年心掛けてきた本当の所作だけが評価される、とアドバイスをしました。「さすが日本人」そう思われることはここの知識を見せびらかしたり容姿を整えることよりも重要です。ましてや60歳、70歳にもなってセコセコした立居振舞では目も当てられません。

皇族の所作などは参考になるかも知れませんが、いずれにしても人として高貴な香りを放つのはやはり染みついた所作ではないかと思った次第です。

平成三十年如月十二日
不動庵 碧洲齋

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