あのさー、それやめない?

外来語、カタカナ語のことです。
正直言って、30代になってから特に好きではなくなりました。
どうしても日本語の概念だと長くなってしまうような場合は別として、やたらメッタらと何でもカタカナに置き換える行為は愚行です、とキッパリ断言します。
私自身、ブログではなるべく使わないようにしてますが、それでも世に浸透している言葉の兼ね合いで結構使ったりしています。それも残念です。
中国人も実はそんなに好きではないのですが、なかなか素晴らしいと思う部分が二つあります。
一つはどんな犯罪者でも親孝行な人が多いとか。これは元対中国犯罪担当警察官だった友人から聞いたことです。
もう一つは外来語を中国語に変換させる。輸入したての頃は同音語で仮採用して、後日、その機能や性質を表す感じと置き換えるそうです。やはり感じ発祥の國だから、そういう矜恃ががあるのでしょうか。

外来語は全然使うなというわけではないのです。例えばコンピューター語のようなドカドカやってくるような場合は仕方ないかも知れません。高度なIT学術用語であればそれでもいいかもしれません。

安易にカタカナ語に置き換える行為は意味を曖昧にします。そして要するに安易な言葉にしてしまいます。私も英語を使いますから、微妙に日本語にない語感の単語があったり、その逆(この方が多いかな)があったり。だから訳す場合は熟慮を重ねて欲しいものですし、安易なのは避けて欲しいですし。ましてや意味不明の語感のまま使わないで欲しい。カタカナ語を使うとちょっとかっこよく聞こえる、なんて懐かしいような考えは今は流行りません。もちろん、理解不能な日本語ももちろんよろしくはありませんが。

リスペクト:これを書こうと思った発端の単語です。意味不明です。確かに日本語の尊敬や敬意と全く同じではありませんが、わざわざカタカナにしなければならないほど、もしくは新しい言葉を造るほどのことではないと考えます。その微妙な語感の差異は、一般日本人には関係ありません。その程度の差異は、英会話を多少本格的にでも学ぶ時べば十分でしょう。妻に聞いたらこれは竹下登元総理の孫が使い出したとか何とか。よく分かりません。本当でしょうか。

ガッツ:わりと好きなカタカナ語。ガッツがある、とか言いますが、これは日本語にはない精神的な奮起を表す言葉としてはなかなか語呂的にもいい感じのように思います。

シャイ:多分、内気ほど深刻ではなく、恥ずかしがり屋よりも短いから使っているのではないでしょうか。日本語は短い語が好きなようです。英語のshyの方が語意が広い気がしますが、カタカナ語の方が短かったらそちらを採用するというのかも知れませんね。

要するに外国人に「何でわざわざカタカナにして分かりにくくするんだ!」と突っ込まれない程度にカタカナ語を使って、本来の日本語の語感を養うことが、一番日本人の心を維持する簡単な方法なのかなと思っている次第です。

SD100705 碧洲齋