忍城之陣 霜月十四日 武蔵国忍藩

昨日は久しぶりの武者行列に参加しました。
場所は埼玉県行田市。さきたま古墳群があることでも有名です。
そこにかつて存在した城が忍城(おしじょう)。名前がカッコイイですね。
名前がカッコイイだけではありません。日本の城の中ではかなりの功績があります。北条氏康も落とせませんでした。上杉謙信も落とせませんでした。豊臣秀吉の命を受けた石田三成も落とせませんでした。ここまでしぶとい城はあまり他には聞きません。多分、毎回忍城側は桁違いに少数だったと思いますが、最後の忍城攻防戦の時は豊臣方2万、忍城側は農民兵3000未満と言いますが、これは多分、周囲の農民とその家族を収容した数でしょう。プロの兵士はせいぜい500-600人程度だったと思います。
また、美しい姫武者が活躍した、ドラマのような逸話を残す城でもあります。
その名は甲斐姫。ちょっとドラマチックすぎてにわかに信じがたい部分もありますが、いくつかの資料をつきあわせても矛盾点や怪しむべき点がないことから、美人で強者、そしてなかなかの切れ者だったというのは本当のようです。

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ここ数年、私が演じさせていただいているのが忍城城主成田家一の家老、正木丹波守利英。忍城攻防戦の時に城代となった長親とは幼なじみ。幼い頃見た、上杉謙信の姿に触発され、武芸の鍛錬に勤しんだとあります。武勇に優れた武者のみが持つことを許された皆朱の槍を愛用していたとあります。私などはチョロッと槍が遣えるという程度ですが、とりあえず使えるというのでやらせて頂いております。実は一昨年に正木丹波守を知ってから非常に親近感があります。彼は槍を使いますが、私が好んで使う獲物も槍です。忍城攻防戦後、彼は城の南東側に臨済宗建長寺派の寺を戦没者慰霊のために建立しました。私が師事している禅の老師二人とも建長寺派です。私の場合、威武輝かしいオーラがあるわけではありませんが、彼にはきっとそんなオーラがあったように思います。また、罪もない領民を戦乱に巻き込ませてしまった重責が故に仏にすがって寺院を建立したように思います。彼はめざましい活躍をしながら城を守り抜いた功績よりもそのために死んでしまった人の数に震撼したような気がします。とても強くとても優しい家老だったのではないでしょうか。私なりに勝手に彼の人となりを想像しています。

今年は豪州の同門2人を連れて行きました。彼らは運がよかったですね。宿泊先に6時半に迎えに行き、行田市に着いたのは8時ちょっと過ぎ、東北自動車道は意外に混んでいました。多分紅葉見物の行楽客が多かったのだろうと想像します。早く着いてしまったので、正木丹波守が建立した高源寺に行ってみました。当時からのものかどうか分かりませんでしたが、石碑が一つ。正木丹波守の墓は残念ながら不明でした。というのは寺の墓地が道路の拡張のためにごっそり移動してしまい、移動先が分からなかったのです。早朝でこちらも時間がなかったので住職を呼び出すには至らず、そのまま産業文化会館に向かいました。

数人が既に到着、私も着替え始めました。同門2人は子供のようにはしゃいでいました。ま、そんなものでしょう。着替え終わってからすぐに打ち合わせ。都合3組6名が殺陣をしますが、個人的には全員参加の方がおもしろいと思います。また、1回ではなく、数回出た方が見所満載という感じがしました。

寸劇はのぼうの城ベースの台本ではありませんでした。個人的には来年のぼうの城が行われるのに何故そうでないのか分かりません。のぼうの城という絶好の宣伝材料がわき上がってきたにもかかわらず、それを活用しないのはいかがなものでしょうか。多分これは参加した人たち、観光に来たお客様達も思ったことだと思います。内容に関しては去年よりはよかったと思います。もっと言うと一昨年の方が更に良かったと思います。

寸劇自体は無難に終わりました。甲冑着装時の槍の繰法にちょっと思うところあり。もしかしたら・・・という疑問が幾つか思い立ちました。ま、それは後ほど調べてみましょう。私の槍はもともと稽古用の槍で樫の木でできています。故にお祭り用の槍よりもかなり重くできています。間違って命中したりアルミの刀身に当たったらかなりのダメージとなります。逆に動きがリアルになりますけどね。実際の槍術と違って殺陣ではとても大振りな動きをしなくてはならないので、その辺りがちょっと難しく感じます。甲冑を着てリアルな動きというのは可動範囲を常に知っておき、しかも予備動作がなく、しかも疲れない動き(超最小限の効率がいい動き)、まあ他にもありますがそういったものが要求されます。殺陣の動きはともかく美しくゴージャスにせねばなりません。このギャップを埋めるのがなかなか大変です。

寸劇後は城まで行進。ここの行列は距離が非常に短いのです。
今年は自前甲冑隊の集合写真がありませんでした。役付の方だけでしたね。
何故なんでしょう・・・。
しかし理由は分かりませんが、今年は異常なくらい来訪者からの写真希望が多かったように思います。他の方はともかく、私の甲冑はさほど目立つものではありません。にもかかわらずひっきりなしに一緒に写真を撮らせて下さいというリクエストが多く、驚きました。私などはかわいらしい女子高生たちにキャーキャー言われながら一緒に写真を撮りましたが、なるほど芸能人ってこんな気分なのか、というのが素直な感想。でも女子高生の使っている言葉のいくつかが全く理解不能でした。これはちょっと怖かったです。
怖かったと言えば、七五三に来ていた5歳の男の子が10数人の甲冑武者に囲まれて写真を撮るという滅多にないチャンスに恵まれました。きっと一生忘れられない思い出になりますよ。ご両親や祖父母達は興奮されていましたが、本人はかなりびびっていました。女の子の方はやっぱり多少ませているのでしょうか、「姫!」というとまんざらでもなさそうに一緒に写真に写りました。(男の子の方は「若君!」と呼んでもびびって引いてしまう子がいました)

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この日は城の中の博物館が無料です。いつものように中に入って同門達に説明をしながら一巡し、産業文化会館に戻る途中、ときた殿と色々食べ歩きました。豆スープとゼリーフライですね。のぼうの城の紹介コーナーがありました。今回初めて正木丹波守役の佐藤浩市さんの鎧着装を拝見しましたが、いやいやかっこいいのなんのって。他の方々もみんな作品に期待を持たせるものでした。 今回はかなりゆっくり回ったので、戻ったころにはみんな昼食の弁当を食べていました。

皆さんとゆっくり着替えて帰路につきました。道中は同門と武芸談義。普通は疲れて眠くなるのですが、こういう話しを英語ですると言うことは眠気覚ましにはよいですね。

SD101115 碧洲齋