葬式仏教の終焉と救済仏教への回帰

昨日の座禅会では茶礼時、師がただならぬ決意を以て話していただいたことをかいつまんでみたいと思います。
話された内容は師が語ったものですが、補足を加え文章にとりまとめたのは私ですので、一切の責任は私に帰します。
ご了承いただいた方のみお読みください。

私の師は臨済宗建長寺派の老師です。そして都内の非常に小さな寺の住職をしています。檀家はありません。現在でも月に一度は本山(建長寺)に1週間ほど詰めて修行をしています。時々依頼される葬儀と座禅会や写経会、区の公共活動で生活しています。従って非常に切り詰めた生活をしていらっしゃいます。冗談でもそのようなことをよくおっしゃっていますが、本当に大変な事だと思います。その上時々、自殺を止めたり、いろいろなトラブルについて相談されたりします。その辺り留め置きください。

そもそも仏教は自身の修行を効率的に行うために始祖お釈迦様が始められた行為です。
修行とは真理を追究し、体験することを指します。
キリスト教などの修行とは異なり、神との対話、神への祈りではありません。
あくまで本当に自分が何者であるのか、世界は一体何なのかという真理を知るための修行です。
しかしながら現代においては仏教というとほとんどの意味合いで死者を葬るための通過儀礼としか見なされていません。
つまり死を以て収入を得ているのが現状です。
元来、仏教は迷える生者を救い、道を歩むための方便であったことを考えると、恐るべき事と言わねばなりません。

また、仮に死者よりいくばくかのたつきを得るにしても、残された人たちからは必要最小限のみ頂くべきです。
ところが昨今の僧侶を見ると、高級車を乗り回し、大きな庫裏に住み、豪華絢爛な寺院を建て、大きな霊園を経営しているところは莫大な収入を得ているのが現状です。一方で元来の目的であった身を削るような厳しい修行を継続している僧侶はほとんど見かけません。もともと簡単に僧侶になれる宗派についてもそうですが、本来厳しい修行の末にしかなれない禅僧であっても同じ事が言えます。いや禅僧であればなおさらだと私は思います。

現代の人たちは非常に心が病んでいます。日本には毎年3万人を超える自殺者がいて、もっと多くの人がうつ病になる事実を鑑みれば分かると思います。しかしそれに対して仏教は全く以て消極的です。仏教はキリスト教などのように、もっと布教をして、そういった病める人たちを救済すべきです。死んでしまった人は念仏を唱えようが唱えまいが、すでに成仏し、生まれる前にいた処に戻り、すでに安心(仏教では「あんじん」と読みます)を得ています。葬式や読経は本来、残されて悲しんでいる人たちのためにありました。

僧侶はもっともっと貧困に身を置かねばならないとおっしゃっていました。
ぎりぎり生活ができる程度でよいと言うことでした。
その理由は簡単です。修行を専一にしていることを証明してこそ、救いが必要な衆生に信頼され、かつ葬式仏教の汚名を返上できるからです。そもそも贅沢な暮らしをしながら厳しい修行などできようはずがありません(仏教に限った話ではありませんが)
考えてもみてください。ブッダはたぶん、日本にいるどの僧侶よりも貧しい暮らしを断行されていたと思います。ましてや小国とは言え、一国の王子という位を捨ててです。ブッダと言わず、江戸時代までの衆生から慕われた名僧たちの暮らしぶりはいかなるものだったのでしょうか。やはり真理を追究し、衆生を救おうとするには、一大決意が必要なのだと思います。

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師は今まで時折、たっての願いでやむなくまれに執り行っていたその寺での一切の葬儀をやめ、また、頼まれて出ていた葬儀も受け付けないとおっしゃっていました。今後は布教活動だけを通じて、悩み苦しむ衆生を何とかしたいと述べていました。

現在、都内では実に2割の葬儀が「直葬」と呼ばれる、一切の宗教儀式なしで行われる葬式です。果たして葬式と呼べるのかどうか分かりません。本当に本人が亡くなり、火葬場で焼いて骨にして壺に収めるだけです。
社会主義国でさえ何らかの宗教儀式をしていたことを考えると恐ろしくもあります。
すでに都心では「葬式仏教」すら必要とされなくなってきています。
この責任の一切は、葬式仏教で満足していた仏教界の聖職者全員にあるとのことです。

師はよく冗談交じり「黒塗りの高級ベンツを乗り回して、金襴の衣をまとって、檀家に更に荘厳な寺院建立のための寄付を依頼しに回っていることに何の疑問を持たないのか」言います。本当にその通りだと思います。

師は今後、現在行っている座禅会や写経会を増やしたり、教典の講座を開いたりして、布教活動に努めたいとのことでした。
私も微力を尽くして師を支え、仏道を広めていきたいと思っています。

*これを読んだ僧侶の方で不愉快に思われたのであれば、一切の責任は私にあり、申し訳なく思います。しかし、一在家である私から見て、普通の町寺の僧侶の暮らしぶりは本当にこのように日々感じています。たぶんこれが葬式仏教とさげすまされている所以の一部ではないでしょうか。今一度、開祖であるお釈迦様の暮らしぶりや仏教のあり方を再考し、各の暮らしぶりとを比較していただいた上で、迷える衆生を本気で救おうとお考えいただければ幸いです。


SD110214 不動庵 碧洲齋