護身の要 護心の要

http://news.biglobe.ne.jp/domestic/1006/san_121006_4070095226.html
今、息子が通っている学校のみならず、市内周辺の小学校でもこの問題の為、保護者が大いに迷惑しています。
快適な便利さ故の犯罪でもあろうかと思います。
書き込んだ本人はもちろん、独身男性だと思いますが、何とも品格もない、思想もない、哲学も理性も何もない空虚な文言だと思わずにはいられません。

できないことは言わない、ぐらい言葉は重くありたいものです。実際、それができなくともそう思うようにしつけるのが親の務め。

こういう愉快犯を産んで育てた親は恥じるべきだと思います。
私も息子によく言います。
「もしお前が人様に迷惑をかけるような事があったら、お前を殺して俺も死ぬ。人に迷惑をかけて犯罪者になると言うことはとてつもない代償が付くのだ。」
今のところ、犯罪とは全くかけ離れたところにいるのがありがたく感じます。

犯罪の取り締まりにサイバーコップ?法整備?違うでしょう。地道でも堅実な教育、暖かい寛容な社会、これありきではないかと思うのです。人間力を高めることぐらい、安く確実に社会や国力を良くする方法はありません。
法律は単なる杖です。本人が丈夫なら必要ないのです。
飲酒運転でも法律を厳しくして減ったと世は華やいでいる向きもありますが、私はそういう短絡的な手法に危惧を覚えます。

昔は良かった、などと言うつもりはありません。今の方がよほど良いことも多くあります。
しかし最近の社会は人間本体に比べてオーバースペック気味な気がします。
精神的な疾患が増えていることからしても間違いなさそうです。

冗談で息子に護身の術を教えねばと言っていましたが、冗談では済まされなくなってきている世の中になってきました。しかし私は息子に対して護身よりも護心を先に置きたいと思っています。

正しい心ありきの正しい暴力=武術です。どうしても抜き差しならない場面で、最低限の暴力を使うべき相手に使うのが武術です。それをどれだけ正しく見極められるか、それが護心だと思うのです。誤心の相手に護心の技は、例え未熟でも大きな効果があると思っています。

正しい技を運用できるかという技術的な問題は、これまた非常に重要であることは疑いありませんが、正しい心で運用できるかという命題は宗教の手を借りたりすることもしばしばある程に、更に難しい、究極の問題です。もしかすると正解はないかも知れません。

優れた技は、何か正しい、偉大だとされる教えの元で学ぶということは、あながち間違った方法ではないと思うのです。

話が逸れましたが、この犯人、草加市民は絶対に許さんぞ!!!


平成二十四年神無月十六日
不動庵 碧洲齋