平成二十四年度 忍城祭 弐

翌日も行田へ。
ところが出立直前、斜め前の家に救急車が来ました。
そこのご主人が急に倒れたようです。
前にも一度、脳梗塞だったかで倒れたのですが、今回は心臓マッサージをされながら救急車に乗せられたのが見えました。
ご主人の奥さんも何年か前に亡くなっています。
私より少し上の長男と私よりも少し下の長女がいますが、どちらもまだ結婚しておらず、家にいます。
まだその後の情報がありませんが、回復して欲しいと願っています。
私の家は33年前にここに引っ越してきました。この辺りの分譲地にうちを含めて7家族引っ越してきましたが、洪水防止用の河川の建設のために1軒、道路拡張のために3軒、都合4軒が取り壊され、残った3軒のうち引っ越しで1軒去り、我が家とその家族だけがオリジナルの住民でした。

少々飛ばして行田市まで1時間。早いものです。
いつもの通り駐車場に車を置き、荷物を持って産業文化会館に行きましたが、今年は違う場所で着替えとか。
8時半に開館しました。今回は2階になりましたが、以前の地下室と違ってエレベータが使えるため、非常に便利でした。
着替え始めていると、続々とやってきます。みんなほとんどが知り合いです。しかしこれだけ一度に会う機会は忍城以外はあまりないと言っても過言ではありません。
いつも通り着替えますが、やはり忍城でみんなに会えるのはどこよりも楽しく思います。
新規の方も数人いましたが、できたら初めて来たら挨拶などして交じって欲しかったところです。
椅子に座ったままというのは全く以て頂けません。
次回からは今少し、交流の機会を持ってもらえたらと思います。

外に出ると例によって時間までウォーミングアップ。ちょうど楓殿がいたので、長モノが使いたいとか言うことを思い出し、私の階朱の槍を貸しました。
軽く繰法を教えましたが・・・
「なんでそんな簡単にできちゃうんだよ~」
全く素人のはずですが、なかなか筋がいい。女性に甘い碧洲齋ですが、武芸に関しては別。ひいき目にしなくても最初に槍を遣う捌き方はなかなかでした。
これは見込みがあるなと感心した点。槍を振り回すときに、結構周囲に気を配っていたこと。長いものだから当たり前と思うでしょうが、意外にこれができる人が少ない。大抵の人は自分を中心に考えます。自分がうまくできているかどうかという視点で考えて動くものです。
集中しているようで周囲に気を配り、周囲に気を配りつつ集中できる。長モノを扱うにはこのようなセンスが必要不可欠なのです。
今まで殺陣とか演技がチョットできるおなご程度と見てましたが、恐るべし楓殿。
宗像コーチはきっとこんな気分だったに違いない?
あ、うたみ殿にも移動中に会いました。差し上げた陣羽織を着ていましたが、なるほどこんな感じになるのか。
差し上げたものが役立って何よりでした。

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今年は領民が主役です。ものすごいやる気のオーラ。地元愛がグツグツと感じました。そうそう、それがための地元の時代祭ですから。これでこの祭りは大成功だな、と感じました。時間があったので、みんなと集合写真を幾つか。これも楽しいですな。
その後、おもてなし甲冑隊と共に広場に移動。
舞台裏には進行表が貼られていましたが、こういう入念さはさすがだと感心しました。
残念なのは表舞台の進行状況が見えないこと。返す返すも残念です。
結局出番は2回だけ。いつもより少ないように感じたのは私だけだったでしょうか。

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しかし最後のカーテンコールはよかった。
これは毎回やって欲しい。
今回、石田三成役と大谷吉継役の方は遠く関ヶ原からやってきたそうな。
なかなか決まっていました。
おもてなし甲冑隊の人たちも、前に比べるとかなり丸くなり、みんなと冗談を言い合えるようになり、好ましいように思えました。

寸劇の後は城に向かって行進。祭りの中では多分一番短い距離で、400メートルぐらいです。
今年は言わずと知れた「のぼうの城」封切りの年。観客の数はいつもの倍ぐらいはいた気がします。
例によって大手門から入りましたが、今年はそのまますぐに博物館入り口近くにある販売所に直行。
この自前甲冑構想を練り上げ、最大規模にまでした最大の功労者、じさま(ご身分などは一応秘密!)のいるところで写真サービスなど。大体古株連中はじさまを慕って来ているようなものです。

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しばらくしてから一度昼食のために引き上げ。
帰路、着替え室に戻るまでも大変だった。あっちこっちから写真を頼まれました。例年の比ではありません。行田市や埼玉県民はきっと、埼玉に忍城あり、と誇りに思ったことでしょう。
いつもは昼食後、退散するのですが、今年は思うところあり、昼食後も再度、じさまのいる辺りに出張り、写真サービスを続けました。なので今年は博物館に行くのはなし。
じさまがゼリーフライサンドとゼリーフライを持って来てくれました。言うまでもなく今まで幾度もゼリーフライは食べてますが、ここのは非常に美味しかった。

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14時過ぎまで色々な人と写真に写りました。忍城を知ってもらい、できたら郷土愛を高めて欲しい。参加以来、ずっと願ってきたことです。
関係ないですが、楓殿、麩菓子「でくのぼう」の売上げにかなり熱が入っている。まるで販売員のよう。声もよく通るし着こなしもよく、言うまでもなく器量よしなので売上げ倍増の様相でした(笑)。
既に着替えた仲間たちもやってきたり。
幸いなことに曇天ながら雨も降らず。
14時過ぎに撤退しました。

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帰路は写真を撮ったり撮られたり。お馬鹿なこともしました。
感心したのがエル参斗之介殿が持って来た筆と和紙。
実は今、二人で「戦場一句会」を結成し、時代祭がある事に短歌を作っています。
で、今回、歴史的建造物を見上げながら歌を書いているというシーンを撮りたかったようですが、何せ今回は観客の多さは尋常ならぬモノがあり。うまくいきません。やむなく槍などを構えて終わりにしました。しかしメジャーではない祭りでやってみたいところです。矢立とか用意するか。
帰路、子供たちが珍しそうに槍を見ると、「槍の奥義は『思いやり』じゃぞ」とオヤヂギャグを飛ばしつつ帰参。でもお母様方は少しは感心してくれましたよ。
今回はことのほか充実しました。

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今回思ったこと。
忍城祭りは以前から自前甲冑がかなりの人数が集う祭りとして、自前甲冑武者たちから知られた祭りでもありました。私の記憶に間違いがなければ、60人以上になったことがあります。自作の紙製甲冑とかを除いての数です。最盛期はかなり壮麗でした。当時と言わず今でもこの数字を超える自前甲冑武者が集まる祭りはあまり聞いたことがありません。もっとも今でも私と繋がりがある自前甲冑仲間が一堂に会する祭りとしてはやはり最大です。その後は多少方針が変わり、おもてなし甲冑隊が結成されたり、のぼうの城が公開されたりと、忍城は地方のローカルな城にしては多分かなり知名度が上がりました。何はともあれ地元住民が誇りに思い、出演することに喜びを感じている様を観て、私も胸が熱くなりました。多分、これが時代祭の究極の目標なのだと思います。

翻って昨今、地方では時代祭が数多く興されています。例えば今年を例に取ると、私が参加したうち二つは栄えある第1回、行きそびれたのと行けなかったのが共に第2回。恐るべき数が開催されつつあります。自前甲冑武者の任務ですが、基本的に財政に余裕がない地方で町おこしをしたい時にお手伝いに上がるものです。理想論はある日、町おこしがうまく行き、住民が喜んで参加し、財政的に専門業者も呼べるようになったら、自前甲冑武者は別の祭りのために去るのかなと思ったりします。

私の場合は甲冑は武芸における経験値を上げることが第一義です。そして郷土愛を高める。日本人として自覚を覚醒させる。国際交流を以て日本文化を世界に広め、平和の何たるかを知らしめる、そんな意味でやっています。2ヶ月に1回。独身者や子供のいない家庭でしたら毎月毎週でも参加できるのかも知れませんが、私の場合、年に参加できるのは多分MAXで6回が限度でしょう。そう考えると、やはりこれから興そうとしている時代祭に参加してこそ、意義があるように思うのです。

ということを今回、周囲の友人やじさまに語り、私の信念をご理解頂きました。忍城祭りに関して私は比較的古参ですが、基本的に参加は今回が最後と致します。来年は多分、新しい時代祭に参加することでしょう。

甲冑仲間の皆様、いずれまた別の祭りにてお会いしましょう。


平成二十四年霜月十二日
不動庵 碧洲齋