第2回 滝之城祭り リハーサル

昨日は朝から所沢にある滝之城跡に行ってきました。
昨年より始まった滝之城祭りという時代祭の打ち合わせのためです。

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10時集合でしたが30分前には到着し、城趾を散策しました。
東京を見下ろす小高い大地の縁にあり、東側には関越自動車道、南には武蔵野線と柳瀬川がありますが、それでも関東平野南部が良く見渡せ、初日の出などはよく見えることでしょう。
城趾は森になっていますが、明らかに人工的に構築された遺構であることが良く分かります。現在は本丸跡に城山神社が祭られており、近所の人々がよく訪れる場所です。
ちょうど滝之城は発掘調査が行われていて、あっちこっち試掘されていました。
跡で説明を聞きながら回りましたが、三の丸には古井戸跡、城門などなど、在りし日を彷彿とさせる遺構が出てきました。
本当に小さな城ですが、それでもこういうものが出てくると日本人としての血が騒ぎます。

城趾にある城山神社の社務所に集合でしたが、昨年の祭りの後に内部がリフォームされ、ピカピカに新しくなっていました。前泊する人もいるので嬉しくなりました。発掘も社務所のリフォームも前回の祭りの成果とは関係ないとのことでしたが、今度の祭りも盛り上げて、この滝之城を有名にしたいですね。私の時代祭参加は縮小するとは言いましたが、滝之城は継続していきたいところです。

今回は第2回のミーティングでしたが、第1回目は成人式の時の大雪だったので行けなかった人も多く、実質今回が初めての様相。最初は自己紹介や流れを確認など。昼食を挟んで甲冑を身につけて外に出ました。今回は祭りのポスターに使う撮影もありました。幸いにして風も止み、そんなに寒くもなく。

滝之城祭りの写真撮影だったので、皆朱の槍を持参したかったのですが、折れたまま直すヒマもなく。ただ後で写真を見たら骨董槍の方が見栄えがしていました。結果的にこちらの方が良かったです。ただし振り回すときは細心の注意を払いました。

今回許可を得て空堀の中でも撮影をしたのですが、なかなか得難い経験でした。武芸では高所の優位がよく語られますが、実際に空堀の上から足軽2名と対峙したとき、よく分かりました。足場の良し悪しや人数にも因りますが、同じ条件で長ものが武器なら高い方が明らかに有利だと言うことが分かりました。色々試させて頂きました。(くどいようですが、ちゃんと許可を頂いて空堀に立ちましたよ・笑)空堀、実際に眺めただけだと「こんなのが役に立つのか」と思ってしまいがちですが、甘かった。たかだか4.5メートルでも凄い威力。空堀は見た目と実際の効果がかなり違うことを思い知らされました。

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それと私と対峙して頂いた足軽の方2名は今回初めての参加だったのですが、「あ、殺されたな」という拍子が何度かありました。いわゆる初心者は怖いというヤツですが、無意識に拍子というか旋律を求めてしまうということです。これはとてもマズイ。無拍子の拍子を体得すべし、です。無拍子のようで拍子があり、拍子を取っているようで無拍子というのがベストです。無拍子は読まれませんから。良い経験になりました。そういう意味で初心に還ることを意識したいところ。

今回何度か撮影のために長もので包囲した陣形などを作りましたが、やはり個と集の戦闘方法は違う。武芸者が強くとも、武芸者の集団が必ずしも強いというわけではありません。多分、源平合戦の頃と戦国時代の頃の違いでしょう。逆に集団密集隊形では一人の突出した人材は逆に不利だったかも知れません。よく観察してましたが、私が7-8人の槍持に囲まれても、個々であったなら比較的苦もなく全員倒せそうな気がしました。しかし集団行動訓練を良く受けた兵隊たちであったら、たちどころに串刺しにされそうな気がします。連係プレーのありなしですね。

日本人は農耕民族です。(少なくと戦国時代は)故に集団行動訓練は良く行き届いていたと想像します。農民兵と言えども今の日本人とは違います。農作業で鍛えられた下半身を土台に繰り出された槍突きは、現代の武道家などのそれよりも、遥かに剛力であったことでしょう。

今回は私とパートナーで繰り広げられるバトルがメインディッシュのようですが、そういうことなので当流独自の動きなどを随所に取り込んだ、少々おもしろみのあるものにしたいと考えています。

写真撮影というシロモノはなかなか貴重です。時代祭ともなると各自写真撮影するヒマなどありません。故に写真撮影のためだけに甲冑を着られるというのは実はとても有難い機会なのです。

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ついでだったので、槍の繰法なども動画に収めました。ちとモーションが大きく、ごくごく基本的な動きしか録画してませんが、モーションがないと何をしているのか分かりにくい上に複雑な動きをしても動画では分かりにくいと思った故。

祭りは人が集い、和議するところ。政治を政(まつりごと)と言うことからも分かると思います。私もなるべくそのように努力して、地域住民や仲間たち、今回は家族も、果ては先祖たちとも和して環になるような祭りにしたいと思っています。


平成二十五年如月十八日
不動庵 碧洲齋