見えないものが見えること

仕事で海外の企業と色々やり取りをしますが、担当者が変わるとき、時々困ることがあります。それは性別。宛名に使う「Mr./Ms.」どちらにすべきか分からないこと。最近はもっと便利な「san」を使います(笑)。意外にもこの「san」、国際的にもなかなか認知度が高く、便利です。これはさすがに日本文化の重さというのか。分からないときは「san」を使いますが、相手もそれが何だかよく分かっているので日本人として気分もいいです。

担当者によっては呼び捨てにしたり、私の英名を使ったりしますが、私は基本的にかなり長い付き合いの担当者でもない限りは呼び捨てにしませんし、口語的な書き方はしません。それは日本人のテイストではないからです。

英語が話せるようになると皆使いたがるのがスラング(苦笑)。気持ちはよく分かります。でもスラングというのは相手が英語を母国語としていてなおかつかなり親しい友人である場合にのみ使うべきだというのが自分の認識です。そうでないと「ペラペラよくシャベルけど何言っているのか分からない」お馬鹿な人だと間違われます。そして何よりも品がない。あなたがしゃべっているのではありません。日本人が話すのです。

あまり堅苦しい言い回しである必要はありません。下品な物言いは止めた方が良いと言うことです。これは息子にも重々よく言い付けています。多分息子は私がまともに英会話に取りかかるようになった16歳になる頃にはかなりよく話せるようになるはずです。だから今から英語教育の指針をよく言っておきたいのです。

話が逸れました。今やインターネットの時代です。名前で性別が分からないときは取りあえずフェイスブックなり他のSNSなり、検索をかけるとほとんど間違いなく性別が判明します。便利です。また、かなり高い確率でその人本人の写真も出てきたりします。便利というのか恐ろしいというのか。

グーグルストリートビューでも行ったことのない町の景色が分かるというのは便利でありながら旅の興を削がれます。良いのか悪いのか。携帯電話を持つようになってから記憶力が悪くなりました。昔は記憶力が悪い人でも10カ所前後の電話番号は覚えていなかったでしょうか?

昔の方が良かったとは言いませんが、なくしたものの大きさはよくよく肝に銘じておかないと、狼がいつの間にかシーズー犬になってしまうような、そんな気がします。私はいつも便利さには最大限の警戒をして、用心深く用いるようにしています。


平成二十六年皐月七日
不動庵 碧洲齋