シオニズムというのかナショナリズムというのか

ここしばらくずっと、イスラエルにいる当流の若い同門とフェイスブックでやり取りしてきました。
実際には会ったことはないのですが、当流の1グループページ内で私の書き込みに共感したらしく、以後、色々とコメントしてくれたりメッセージをくれたりしていました。

基本、道場では(公共の場でもそうでしょうけど)政治の話、ビジネスの話し、宗教の話しは慎みます。これは海外でも同じで、大抵の方はそれを守っています。宗教に関しては武道と深く関わり合いがあるので、仏教と神道に関しては時折書くことはあります。しかし彼のアツい愛国の情はそういう当たり前の礼儀さえも見えなくさせていたようです。

私自身、米国に留学していた折、米国人の熱烈な愛国心に少々引きましたが、それでも彼らは盲目的ではありませんでした。私がいたときは湾岸戦争の時でしたが、送葬パレードの折、片やイスラム教徒は絶滅すべしとかアジっていましたし、片や何でアメリカ人が遠く離れた関係ないところで死ななければならないのかと泣き崩れていました。現実に戦死者が出ているその場での叫び、日本の反戦活動などは幼稚園のおままごとのようにも思えます。

ユダヤ人とは何度も関わり合いを持っていましたが、留学時代や豪州赴任時代にはそんなに他の人たちと変わった感じはしませんでした。一番ショックだったシーンを見てしまったのは独逸に出張した折。
コンビニに行ったときでした。私の前の客が中年、やや初老のユダヤ人でした。髭を生やして小さな帽子を頭に乗せていたので分かります。服装からするといわゆる超正統派グループではなかったでしょうか。レジの若いドイツ人の青年が「こんにちは」と言っても完全無視。品物とお金をごろっと台に放り出すと、以後ずっと手を差し出したまま硬直状態。店員は苦笑しながらレジを打って袋に詰め袋をつと差し出すとひったくるように取り、差し出した手におつりが乗せられるや否や、店員のお兄さんを睨み付けてさっさと店から出て行きました。あまりのことに私が呆然としていると、彼は「よくあることさ」と英語で言ってくれました。

此度のガザ地区のいざこざについて、イスラエルに住む若い同門にちょっと尋ねてみました。
返事に驚きました。イスラエル人がどれだけテロに怯えているか(パレスチナ人とは言わない)、テロが一般人を盾にしていかに武器を隠匿しているか、あっちゃこっちゃのWEBから引用しては力説します。
どうもパレスチナ人というと、「元々住んでいた人たち」という意味になるのでイスラエル人にはちょっと都合が悪い。結構やり取りしましたが、唯の一度も「パレスチナ人」という単語は使ってませんでした。テロとそれを匿う市民たち、のような構図です。
彼から「あなたたちはテロからミサイル攻撃を受けたらどうする?」と尋ねられました。大抵は自分たちの状況になったらどうするとか、そういう言い方をします。ごく一部のテロリストです。ハリウッド映画じゃあるまいし、どこぞの国の弾道ミサイルを奪取して使っているわけじゃありません。手製の粗末なロケット弾です(苦笑)。でもイスラエル人は絶対に長距離ミサイルだと言って聞きません。シリアがパリにミサイルを撃ち込んだらどう思うとか言われましたが、現実的にそれは無理です。あれはただのロケット弾です。そういう現実感が欠如した被害妄想が彼らを束縛しているような気がします。
少し意地悪だと思いましたが、ガザ地区とイスラエルの犠牲者数を知っているかどうか聞きましたが、これまた驚き。ガザ地区については知らない、イスラエルについては死んだ人よりも今生きている人を数える方がずっと大事とか、そんなことを言って憚りません。そりゃそうです、数日前まで死んでいないのですから。「ガザ地区200人以上、イスラエルなし」ではどう考えてもイスラエルに正義が立ちません。いやいや驚きました。本当にイスラエルではガザ地区の犠牲者数をニュースに流さないのかどうか分かりませんが、少なくともインターネットで調べればすぐ分かる程度です。そういう思考形態すら、ナショナリズムは持たせないようです。

息子と「ノア 約束の舟」を観たばかりでしたから、彼に「ノアは神に許された、唯一のユダヤ人だったが、君は誇りを持ってそのノアの子孫だと言えるか?」と尋ねると「全然何を言っているか分からない。」とあったのでメッセージで尋ねても「私には関係ない」そうです。恐れ入りました。ナショナリズムは整合性がとれない部分は喩え輝かしい先祖の業績でも無視させてしまうという特質があるようです。
あまりにショッキングだったので、日本では神様はいちいち何かを市民に要求したり罰を与えたりしないが、建国以来日本がなくなったことはなく、同じく建国以来ずっと皇統は継続している。一方、ユダヤ人の王国は日本建国頃はまだあったがその後滅んで、「イギリス人の」画策で第二次世界大戦後に復活したが、神に祝福されていた民族がなんでまた長いこと世界を放浪していたのだろう・・・これも完全無視。
あなたたちがそんなに正しいというならどうして建国以来戦争やテロに怯え続けなければならないのか・・・これも完全無視。
多分、都合の悪いことに関しては思考停止するように習慣づけられているのかも知れません。
もちろんイスラエル人の多くは母国を支持しています、それは当たり前ですけど。できたらパレスチナ側にも友人がいたらよかった。あいにく当流にもパレスチナ人の同門がはいません。今まで何度か会ったことはあります。

狂信的という勿れ、戦時中は日本もこんな感じだったことは間違いありません。ましてや当時はインターネットもありませんから、実際に海外に行った人やインテリ階層以外は世界の動きなど分かろうはずもなく。
国家主義という化け物は人の思考形態をも変えてしまいます。宗教ベースなのかどうか分かりませんが、これがユダヤ教の教えというならユダヤ人が2000年も世界を彷徨い、ホロコーストに遭い、やっと打立てられた国家では戦争やテロが絶えない理由もよく分かろうというもの。息子は納得してました。これじゃ凍った水面ですら波立たせてしまいそうです。さっきからユダヤ人ばかり非難してましたが、もちろんアラブ原理主義者たちにもかなり非があることも間違いなし。愚か者が愚か者にケンカを売った図です。

日本のアニメとかでよく見かける「自分と敵がいて、敵は完全に撃滅すべし」みたいないかにも寒い思想は現実にこの地上に存在する事実に震撼させられます。しかもそういうのが同門にいることにも衝撃を受けます。人間は自分が正しいと確信したときが一番、残虐になれます。私の知り合いにもそういうのが何人かいます(苦笑)。そういう人たちの目はある意味狂信的です。正しいかどうか分からないがベストではなくベターな選択を悩みながら行う人の方が私は好きです。世界的に見て日本のやり方は今ひとつ合理的ではありませんし実践的ではありませんが、「和」というものの考え方は確実に世界を平和に導くと考えます。実際に来日してなにがしか日本の伝統芸能を学んだことのある外国人であればそれを肌で感じたはず。私はこういうセンスを武芸を通じて海外に広めるべく、日々努力しています。

それにしてもイスラエル人、10歳の息子から呆れられる程度の思考形態だったとは。どうりで神様も事細かに指示したり、脅しすかしたり、ホメたり祝福したりするわけだ。これじゃいつになっても確かに争いは無くならないな。最近ようやく分かってきました。


平成二十六年文月十八日
不動庵 碧洲齋