平成二十六年度 臘八坐禅会 四日目 所感

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「息をする」と言います。
感じでは「自らの心」と書きます。
「いき」は古代大和言葉では「い」「き」ですが、「い」は英語で言えば "life"、「き」は "power" に該当すると言うことを聞いたことがあります。だから例えば「いのち」は"The power of life"ですし、「ちから」は"From power"。のような意味合いだそうです。
単に吸って吐いて、という意味の"breathing" とは違うようです。古代の日本人のものの考え方は今に至っても私たちの言語生活に根付いていると言えます。

ある程度武芸を長くやっていると、その人の僅かな息遣いで相手の体調や心を読み取ることができます。
そして自分の息遣いを自然に悟られないようにもなってきます。
慣れてくるとかなり微細な状態も窺い知るようになってきます。
逆に言えば、呼吸法が確立できれば体を疲れさせず、心を静めつつ動くことができます。
稽古時など、絶え間なく技を掛け合いますが、9割ぐらいは相手が息も絶え絶え、或いは息が荒くなります。それは自分の呼吸をコントロールできていないからです。どんなに秀逸な技や動きを持っていても、呼吸を抑えていないとあまり意味がありません。
達人や名人でなくとも「息が荒い」「息巻く」のように心情表現化しているものもある通り、呼吸の状態から容易に相手の心の状態を知ることは出来ると思います。
逆に言えば呼吸をコントルールする事である程度心をコントロールするという試みもよい方法だと言えますが、禅でも呼吸法は非常に重要になってきます。

坐禅をするに当って、一番最初に行う呼吸法は「数息観」(すそくかん)です。
息を吐いて吸いながら「ひとーつ」「ふたーつ」と数えていき、10までいったらまた1から数え始めます。
とても簡単ですが、初心者にはこれまたなかなか難しく、雑念をよけながら10までたどり着けないことが多々あります。
10までいけないことの方が多いかも知れません。簡単すぎる故。
取りあえず妄想が湧いても雑念が湧いても「数える」ことに全力で集中します。
好きなことをしていると時間が経つのが早くなると言う状態を「ナントカ三昧」と言いますが、まさにその三昧という状態を作り出します。数えているうちに三昧に近い状態になってきます。

呼吸はもちろん腹式呼吸です。どのくらいの人がそうしているのか分かりませんが、チョロッと武道をしている人なら大抵腹式呼吸をしていると思います。書くと長くなりますが、腹式呼吸の方があらゆる意味で優れていますが、慣れが必要になってきます。

慣れてくると数えなくても深い禅定の状態を保てるようになってきます。数えることではなく、息をすることに意識が行きます。これを「随息観」と言います。

昨日は久しぶりに少し数息観で坐ってみました。たまにはいいものです。昔に比べて遥かに早く、深くなりました。毎年、この臘八坐禅会で自分の力量を量ることができます。
達磨禅師は鉄壁の心を以てして坐れと言ってます。イメージ的にはたとえ遅くともズズズと道を行くが如し、でしょうか。素早く楽に簡単に、というのと対極でよいと思います。
さて、真ん中を過ぎてからは過ぎゆく早さが変わります。坐禅は「あっという間」に感じることはあっても「あっという間に」させてはいけません。ぼーっとしたり雑念で道草を食ったりしてはならないものです。一呼吸一呼吸に徹底して生き尽くし生き潰す、そんな坐り方を心掛けたいものです。


平成二十六年師走五日
不動庵 碧洲齋