「X」に還る

昨日は二つの坐禅会に参加してきました。
早朝と日中という、イレギュラーなものでしたが、いつもながら得るものが多かった。

禅仏教では「X」というものを追い求めて知ることにあるとされています。
それが本当にあるのかないのか、お釈迦様が「ある」ということで実存性は疑うべくもないことになっており、以後多くの出家者もそれを体験しているので、まずはあるだろうと言うことになっています。

「X」と言うとあまりピンときませんが、人間の造った言語はあまりに不完全すぎるので真理のごくごく一部分しか表記できませんが、喩えて言うなら仏教界では「仏」「無」「空」とか言われてますし、世界では「神」「主」「アラー」「創造主」「イェホヴァ」とか、色々な呼称がされていますが、要するに我々の言語では「X」全体の特徴を捉えた正確な呼称ができないというものなので、例えば仏教では「仏」とか呼ばれています。名称は何でも構いません。繰り返しますが名称はごくごく便宜的に付けられたもの以上ではありません。
これを知るとどうなるのか。私たちの存在意義に関する本質的な疑問、例えば一番簡単なのは生老病死の意味などについて、よく分かってくるそうです。どうして争いが起るのか、社会で起る齟齬が何故起るのか、悟るのだそうです。

ま、その「X」には生き物であれば死んだ後、モノであれば壊れた後にその「X」になるので追及しなくても全く構わないのですが、死ぬ前にそれを知りたい人がいたら、現世にいるうちに心が楽になりたい人は、その「X」を追い求めるのだそうです。そしてその「X」から現世を観ると生老病死を初めとする世の中の矛盾や齟齬がよく分かるのだとか。

写真を見てください。
世界では(少なくとも欧米諸国と日本では)イスラム教過激派のテロの脅威がいつもクローズアップされています。多分これを作製した人はどこかバランスを取ろうと思ったのか、アメリカのやり方に異議を持つのでしょう。

画像


早速反論が来ました(苦笑)カナダ在住の方のようですが、一応なにがしかの日本武道をしているようです。
イランが起こしたテロは数千とかで、老若男女、無関係な人まで殺すのだとか。
米軍の爆撃はかの基督教聖騎士セントジョージの如く、悪の竜のみを退治したとか、そういう稚拙なレベルです。
エエ年した大人がこのレベル、どうりで欧米でテロが止まらぬはずだと皮肉の一つでも言いたくなります。

テロはいいなど一言も言ってませんし、イランにより正義があるなどとも言ってません。でもこの反論者にはそういう幻聴が聞こえたのでしょうかね。ほとんど病気です。

これを読んでいる方に。
裏のない表だけの紙を持って来て下さい。
夜のない昼だけの惑星を見つけて下さい。
甲がない掌だけの手を見せて下さい。
左がない右を見せて下さい。
後ろがない前を見せて下さい。
上がない下を見せて下さい。

できません。
それは私たちの思考形態が「相対的」にモノを考えるようにできているからです。
仮にイランの「悪」を非難した場合は、言った人はどこかに善が存在することを同じく言っているのと同じです。
そしてそのレベルたるや、ちょっと古くて申し訳ありませんが「悪の軍団ショッカー」がいて「正義のヒーロー 仮面ライダー」がいるというレベル。
悪だけの存在が存在し得て、善だけの存在も存在し得るという、日本ならさしずめ幼稚園生かそれ以下のレベルでしょうか。
ハリウッド映画ではおなじみのパターンです。
私たちが相対的視点を保持する限りは一つ言ったら(考えたら)もう一つも自動的に付いて来る仕組みになっています。

禅はそういうものの考え方から離れるための訓練とされています。
上記のとんちクイズも臨済宗では禅問答として知られる「公案」と呼ばれるやり取りで訓練します。それも全て「相対的視点」から離れるためです。「どちらかであるか」という考えで見る限り、そのもの「X」は決して見えません。

今のところイスラム過激派のテロの大半は(数千もあるかどうかは知りませんが)そのほとんどがイスラム圏内か基督教圏内で起ってます。日本では少なくとも国際的なテロ組織の事件は起きてません。上記の反論者にこの事実をとどめとして言ってやろうかとも思いましたが、逆ギレしそうなのでしばらく静観します。

どうも一神教の場合にだけ絶対悪と絶対善の対決があるようです。昔から言われてますが。
本当はその事態一つしかありません。一つしかないのに二つに見える、そこが人間のダメなところらしいです。犬や猫にはたぶん一つの事態に見えるかも知れません。
人にはエゴがあり、妄想や固定観念、先入観、さまざまな直視を妨害する魔物がいます。
他では通用しない物差しや計りで相手を見定めようとしたり、すでに過ぎてしまったこと、まだ起きてもないことを織込んで見たり行動したりするために、本来のたった一つのものがぶれて二つに見えます。これがひどい人になると二つどころじゃないですけどね。

私は現在のほぼ総括されつつある欧米の先の大戦に対する評価を認めません。
全く以て理不尽で話にならない。
ただ日本が完全に正義であったかというとそれも間違い。
朝鮮併合とか台湾統治はどうやったら非難が出るのか分かりませんが、中国大陸で戦線拡大して、現地の住民たちにエラい迷惑をかけたのはどう考えてもその通りです。共産党政府とか清帝国とかには関係なく、です。
そして皇軍は皆、誇り高いサムライのようだったのかと言えばそれも怪しい。欧米の兵士よりも規律が高かったと弁明する向きもありますが、基本人間は「衣食足りて礼節を知る」です。米軍のように潤沢な物資があれば狼藉もそんなに多くない。全くないというのは無理です。日本軍では全くなかったと信じるのは信仰であって事実でもない。個人的にはそう多くの差があったとは思えないし、豊かな物資をバックに持つ軍隊と餓死や病死の方が多かった軍隊と比較した場合、戦死以外の死傷は大本営の無能さがさらけ出されます。

話が逸れました。
日本の教科書には戦前の軍国主義に基づいた一連の行動にある程度批判が成されています。保守の人はこれを非難してますし、革新、左派はまだ足りぬと言います(苦笑)既に一つの事態にたくさんの物差しが当て付けられている事態ですね。
海外の教科書では例えば奴隷を売買していたのにその問題にすら言及していない国もありますし、原住民を恐ろしい手段を駆使して駆逐しても、ほとんどソフトに描かれていたり。ポカホンタスのお話なんかは「ヲイヲイ」ってレベルの美談化です。ウィキペディアでもご覧下さい。

要するに世界的な慣習としては自分の国の都合の悪いことは少なくとも言いません。積極的だと黒を白と改ざんもします(苦笑)。日本人のようにわざわざ非を認めるなどと言うのはとても愚かな行為だと笑われます。ま、相手に都合はいいので表立って笑いませんし、それを利用したい国などは徹底的に利用してますが。

日本が他国よりも優れているのは、「絶対善と絶対悪は存在しない」と信じているからのように思います。アニメや特撮ヒーローでも日本の場合は敵にも一定の理があって、味方側も少し反省したり理解を示したりする事が多いです。大抵は物語の終わりに明かされて、正義に味方も大ショック、そんな感じです。

「神の名において善い」のではなく「自然の摂理にあってなるべく善くあろう」と努力するその姿勢そのものが、日本人には善であるように思います。そしてその「善くあろう」というのは他との調和であることを考えると、やはり日本人の思想は一頭抜きん出ていて、世界もそうすべき方向のように思います。元々あった、「X」そのものに還ろうというその努力が尊いのだと思います。そして世界は少しずつその日本の行いに気付き始めてきているようにも思います。世界が色々な意味で破滅に近づいている今、日本のやり方に着目したのかも知れません。間に合うといいのですが。

昨今、いささか食傷気味に思う保守系、ネトウヨの輩には多分、この視点が欠けているように思います。単調に捉えることしかできないような稚拙な思考形態ではこれからの国際社会は生きていけないし、日本に恥をかかせるだけだ。ま、英語で発信しないだけマシなのですが。

両極があるのは事実ですが、それを調和させようと努力するか、それらは相対するためだけのものか。自然界では昼夜の境界線はなく、夕焼けと朝焼けを見れば青とから赤、または赤から青に移りゆくときも境界線はありません。あの色の変化はいつ見ても見事だと見飽きません。言うまでもなく四季折々も連続であって断続ではありません。やはり自然も調和に基づいている様に思います。ここが日本人と欧米人との差ではないかと思った次第です。

欧米人たちが何故テロが多いのか、もう少し別の視点でものを見てくれたらよいのにと思います。


平成二十七年睦月十九日
不動庵 碧洲齋