人の一生は修行にありて

昨日はたまたまレンタカーがあったので息子を連れて坐禅会に行きました。
昨日は(今朝もですが)日本列島はかなりの強風。風速5メートル以上では自転車で12キロ先にある寺に行くのは情けない話しですがちょっと難しく。
いつもだと4時半には出立するのですが、自動車だと5時に出れば間に合うためにゆるりと仕度をしていたのですが息子の準備も急がせたので結局出立がギリギリ。
息子をせかしたのですが、息子は呆れたように。
「これから坐禅会に行くんだよ。そんなに慌ててどうするんだよ。」
「・・・はい・・・」
まさにその通りです。
準備をして車に乗ると、息子は時間の計算をしました。
「坐禅会は6時からで寺までは車で30分なのになんでこんな早くに出るの?」
「一番早く着きたいから。遅いと坐るところが限られるから。一番熱心に打ち込んでいるという姿勢を崩したくないんだ。」
「でも努力は人に見せるものじゃないんだよ。自分の修行のためだけなんだよ。」
これではどちらが大人か分かりません。

道中車の中からも風の強さが分かりました。
寺に着くとまだ残雪があちこちにありました。
言うまでもなく強烈に寒かった。多分この冬一番かと。
しかし黙々と坐禅堂に行って坐りました。
あいにくとこの日は2番目でした。

関東では珍しい寺の勅使門、開かれることはないので残雪が多い。対の石灯籠はここに参禅に来ていた山岡鉄舟が寄進したもの。
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個人的な感想ですが寒いときほど禅定に入りやすい。
昨日はつま先がキンキンに冷えてましたが、体の中丹田はまずまず温かかった。
ヒートテックに作務衣しか着てませんでしたが丁度よいぐらい。
風があったのと私の席は入口に一番近かったのですきま風もあったため、0度よりも低い時間もあったかと思いますが、昨日はあまり気になりませんでした。
私の経験では寒さの少なくとも半分は自分の「想い」から来ていることが多くあります。
それにしてもあんな寒い中、1時間半も坐った息子に感心です。

昨日の提唱は無門関第21則。トイレ用具を用いた公案ですね。(笑)
本堂に戻ると暖房がガンガンに効いているので本当に極楽です。
昨日はよほどだったのか、普通はここで眠くなるのですが全く頭が冴え渡った状態。
茶礼の時は数人で分担して抹茶を点てるのですがこれが大変。
茶菓子は何でも京都から取り寄せたとかで(茶菓子は京都からのが多い)、非常においしかった。老師は妙心寺でも師家をしていたので、その縁で今でも色々なものが送られてきます。
昨日は老師に御朱印をお願いしてみました。
来週受け取れることになっています。
茶礼の時、先輩方から私の人相?についてお褒めの言葉を頂きましたが、妻にはよく苦労が足りないからそれが顔に出てないだけと言われます。そういうあんたはどうなんだと言いたいところですが、言われたことそのものは大きく外れていない気もします。
ただ土曜日に会った豪州の同門友人からも、毎年この時期に会っているが、毎年とてもいい顔になっていると言われました。それはそれでありがたいことです。

寺の入口で老師から息子にお年玉を頂きました。
時折子供も坐禅会にやってきますが、お年玉は初めて見ました。
普通お寺には御布施をする方なので大変恐縮。
しかし要所要所で息子を連れて行くので老師はちゃんとご覧になっているのだと思います。

その後、禅友たちとマックで朝食。
今をときめくマックですが、近辺に朝からやっているレストランがなく、仕方なくマックです。
そこで1時間ほど語ってから出立、まっすぐには帰らず峯ヶ岡八幡神社に参拝に参りました。
9時過ぎでしたが既に何かご祈祷を受けていた人がいたので邪魔にならないよう(賽銭箱は本殿の中にあるので)参拝だけして散策。
大銀杏の辺りで息子に写真を撮ってもらいました。
ここは私が好きな場所の一つです。

川口市峯ヶ岡八幡神社の大銀杏 樹齢600年とも700年とも言われる。
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その後帰路に就きました。

帰路、息子に尋ねました。
「今日はこんなに寒いのに何で行こうと思ったんだ?普通は子供は行かないよな」
「ん~何でかな。何か修行をしようと思ったんだ。」
「何のために?」
「さぁ・・・今理由は分からなくても後で分かればいいよね。今は修行をしていると言うことだ大事だと思う。」
小学生のくせに時々深いことを言います。

いつだったか、息子に人の一生は勉学の連続と言いました。
宇宙飛行士などと言う大望を持った場合はもちろんのこと、たとえ身が卑しくとも職が卑しくとも、勉学に勤しむ限りは人そのものは決して卑しくならない。
今ここに生きている理由は考えずとも、何かをすることで自分がいたという証を残すために学ぶことは、多分真理に近いのではないかと言ったことがあります。

勉強に関しては我が家は割と家族みんなで率先してやりますが、それは単に目先のことではなく、もっと深遠な真理の探究のためでありたいといつも思っています。


平成二十七年如月二日
不動庵 碧洲齋