蝉の鳴声も減った今日この頃

私は滅多に怒らない方なのですが、やはり人なので怒ることはなきにしもあらず。
能力的なことや些末なことでは怒りませんし、うまく行かないときもそういうものだと割り切れるようになってからは本当に怒りの感情が減り、30代前半に比べたらかなり精神的にはゆとりが出てきたように思います。
私自身は長年やってきた武道で鍛錬してきた精神で乗り越えられると意地を張っていたときよりも、仏のお導きというか禅の賜というのか、別の車輪が揃ってからの方が安定してきた気がします。
人は怒らなくてはならないことはそう多くはないということに気付いたものです。気に病むことも同じく。

ネット社会になって思ったのは寛容の欠如ではないかということ。
ネット社会で世界が広がったのに、人間としてのスペックがあまり変わらないどころか、より狭量になって、目先のことしか見えず、当人はともかく周囲から見たら残念な人、もうちょっと行くと迷惑をかけるようになります。
私が怒りを覚えるのは、人としてあまりに卑劣だったり下品だったりして、それを他人を陥れるようなとき・・・とか。

私自身、いじめに遭っていたことがあるので分かるのですが、いじめをする人たちの精神状態は間違いなく卑劣です。子供の頃にいじめをしていた人たちの表情は今でも覚えていますが、それはもう楽しそうでした。いじめが卑劣である所以はまず正面切って対峙してこないところにあります。従っていじめられたとき、初めはあちこちに怒りをぶつけてみるのですが、大抵は空振りになります。そうやって猫がネズミをいびって弱っていく過程を楽しんでいる、そんな感じでした。

ネット社会にも似たようなものを感じます。特に匿名というやつは厄介です。私はほとんど見ませんが、2ちゃんねるなどがまさにそんな感じです。あれなどはまさに水掛け論の様相。何度か見ただけでしたが悪口があることないこと匿名で書かれていて気分が悪くなりました。よほど言い返してやろうかと思ったものですが、たぶんそれがネットの甘い罠なのだろうと想像します。これが泥沼にはまって殺意を持ってしまったり、自殺してしまったり、はたまた犯罪に手を染めてしまう始まりではないかと。

周囲の協力というのは大きなファクターです。前に書いたように単独では疲労するだけ。
ただ周囲の協力を得るにはまず何よりも自らの姿勢を正すこと。そうであって初めて周囲が協力してくれます。
世論を味方に付けるというのは大げさですが、正しいと信じるに値する日頃の言動が重要かと思います。私自身、結構物書きはしますので筆が滑ることはなきににもあらずですが、人として外れたようなことは行わないよう心掛けたいものです。

・・・以上、ITリテラシーといじめの問題についてでした(笑)

平成二十七年長月十二日
不動庵 碧洲齋