瑞穂の国の民であること

今朝、息子がふと私に尋ねてきました。
「日本は『帝国』?」
「ああ、そうだよ。」
「じゃあ日本は『日本帝国』って言うの?」
「政体的にはね。実際の正式名称は『日本国』だけど」
「なんで?」
「戦争に負けてから『帝国』っていうのは悪者っぽいイメージがあるからじゃないかな。外国では『emperor』は悪い奴が多い。」
「日本は違うんだ?」
「悪い天皇もいたかもしれないけど、天皇がなくなるほど悪い人はいなかったようだ。」
「他の国にはもういないんだよね?」
「今、世界でemperorと呼ばれている方は日本の天皇だけだ。」
「でも政治では天皇陛下は出てこないよ。政治で一番エラいのは総理大臣だ。」
「ああ、でも大臣に選ばれたら天皇陛下に大臣たる詔書を貰わねばならない。」
「なるほど、じゃあ気に入らない人が大臣になったらはんこを押さないんだね。」
「まぁ、そういうやり方で『ノー』を言うことはできるかもな。」
「悪い人が大臣になっちゃいけないよね。」
「もっと大事なことがある。政治家たちはみんな、俺たち国民が決める。だから悪い大臣が出てきたらそれは俺たちだけの責任だ。悪い人が大臣になったら天皇陛下にハンコを押さないようにして貰おう、なんて考えてはいけない。国民ひとりひとりの責任でそうならないように努力しなければならない。」
「そうか、天皇陛下にそういうことをさせてはいけないのか。」
「そうだ、天皇陛下が天皇陛下でいらっしゃれるようにするのが私たち国民の務めだ。日本という国、皇室、国民、どれが欠けてもいけない。」
「なるほど」
「天皇陛下や皇室が尊くあるようにするのが国民の務めだ。自分たちだけ楽をしたりいい加減なことをしたり争っていて、天皇陛下に立派であって欲しいなんて願うのはわがままで大変失礼だし、日本国民としては許されない。分かった?」
「うん、分かった。」
天皇陛下の尊さをあがめるのではなく、私たち国民ひとりひとりの智慧や和の心に立脚したところに皇室があるようにいつも息子には教え諭しています。

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平成二十七年霜月九日
不動庵 碧洲齋