明けの明星に想うこと

昨日はJAXAの金星探査機「あかつき」が5年前のトラブルを乗り越えて金星の軌道投入に再挑戦しました。先日スイングバイを終えた「はやぶさ2」には私と息子のメッセージが搭載されています。宇宙開拓時代が間もなくやって来るよういつも願っていますが、是非うまくいって欲しいところです。

今から概ね2500年ぐらい前、印度はブッダガヤの地で明け方にまさにその金星を見て偉大な悟りを開いた人がいました。仏教の開祖、お釈迦様です。伝説によるとブッダガヤの川の畔にある沙羅双樹の木の下で7日間坐禅を組み、8日朝、明けの明星を見たときに悟りを開いたそうです。

星に行って確かめた結果が事実なら、見て知ったことが真実ではないかと思います。

坐禅で一体何ができるのかというと、私の場合「雑音を消す」こと。
それをそのまま、その通りに感じるようにすること、です。
当たり前と思うかも知れませんが実際そうではないと思います。
現代は情報化社会です。つい10年前と比べても桁違いに膨大な情報を瞬時に手に入れることができます。例えば水を飲みます。今アマゾンで「ミネラルウォーター」は9000アイテムあるようです。つまり比較対象が9000あると言う事です。今ここで飲んでいるその水を比較無しで味わい尽す、これが現代人にはとてもむずかしい。情報がありすぎたり、飲んでいいる人の知識やめまぐるしい予定などといった「雑音」に、水のうまさがかき消されてしまうこと甚だ大です。坐禅をしたからと言って悟りが開ける訳ではありませんが、この日々の「雑音」は確実に減少します。そしてその効果は間違いなく、心をより健全にします。

私は語学のためにウォークマンを持っているのですが、それに装備されているノイズキャンセラーの効果が恐ろしいくらいに凄い。起動させると本当に外の雑音がフッと消えます。音をよくする技術よりもこの雑音を消す技術の方がよほど有用に思えます。

坐禅の効用も同じで、何かを感じたりする折、妄想や雑念、先入観、固定観念、そういったものを極力排除してありのままに見ることを助長するものです。ありのままに見えたら余計酷く見える場合だってあります。
あくまで私の感想ですが、人の苦悩は「見えたいもの」と「見えているもの」の相違にあるように思います。「あるもの」と「あってほしいもの」の差異が人を混乱させたり苦悩したりする原因のように思います。これを知ってからというものは随分心が楽になった気がします。

今、世界のあちこちで起きている戦争や紛争も同じ、「見えたいもの」と「見えているもの」の差によって、争ったりいがみ合っている気がします。

このお釈迦様の行いを祈念して、禅宗の僧堂でも12月1日から8日朝までほとんど寝ないで坐禅をしたりする修行期間があります。これは相当にキツもののようです。幾つかの坐禅会でもこの期間、連続して坐禅をするところがあります。僧堂ほど長く坐るわけではありませんが、7日間というのはなかなか大変です。
私の場合は座禅会が始まる40分ぐらい前には坐り始めますので、1日のトータルが概ね100分、ただ私の場合は往復25キロを自転車で移動することの方がやや辛く感じます。去年と今年は自転車でしたが、石の上にも3年と言いますから少なくとも来年までは自転車で通うつもりです。正直、今の時期だと帰路に見えるオリオン座が大変美しい。そして冷たい風が心地よく感じます。これは例えば自動車に乗っていたら感じることはむずかしいかと思います。


平成二十七年臘月八日 成道会
不動庵 碧洲齋