勝って兜の緒を締めよ

今から丁度111年前の今日、5月27日は、東郷平八郎率いる大日本帝国連合艦隊が、はるばる欧州から遠征にやってきたロシア帝国海軍第2、第3艦隊を迎え撃ち、近代史上希に見る完璧さで撃破した日です。終戦までは「海軍記念日」と言われていました。
どの位完璧だったのかというと、当時は主力だった戦艦が日本は4隻、ロシアは8隻という不利な条件下で(その他巡洋艦は日本の方が多かった)日本が受けた損害は末端の小型艦艇である水雷艇がたったの3隻、ロシア海軍はほぼ全艦が撃沈もしくは捕獲され、かつ司令官まで捕虜になったという成果です。
ちなみに日本海軍はその前にもロシア1個艦隊を撃破しています。
近代戦争に於いてここまでパーフェクトな戦果を上げた戦争はなく、多分今後もないでしょう。

この頃、司令官クラスの上級士官が生まれ、20歳前後になるまで日本は「江戸時代」でした。将軍がいて大名がいてちょんまげをして刀を差して、彼らが子供の頃までは日本は鎖国状態ですらありました。そんな時代に生まれた人たちが日露戦争では当時の最先端科学の粋を結集した鋼鉄の巨大戦艦を操り、電信を用い、西洋人と戦い、人類史上希有な大勝を果たしました。もちろん戦場のみならず、今の政治家たちとは比べものにならぬほど活発に外交活動をして、国難を迎え撃ちました。

文字通り、この人たちこそ「和魂洋才」の権化ではなかったでしょうか。
昭和の初め頃までは驚くべき事に「江戸時代人」が生きていたことになります。妻の祖父母は大正生まれでした。一度、祖父母が幼少の頃の老人たちはどんな人たちだったか聞いてみたことがあります。曰く「今の日本人とは全く別人種のようなものの考え方をする。とても厳格な人たちだった」そうです。

日露戦争後、戦時編制だった帝国海軍を通常編成に戻すに当り、東郷平八郎元帥は「連合艦隊解散ノ辞」というものを残しました。この文言は現在の米海軍士官学校でも紹介されるほど有名なものですが、現代においても大変意義深い文です。ちょっと現代文で紹介したいと思います。

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連合艦隊解散の訓示 二十ヶ月にわたった戦いも、すでに過去のこととなり、我が連合艦隊は今その任務を果たしてここに解散することになった。しかし艦隊は解散しても、そのために我が海軍軍人の務めや責任が軽減するということは決してない。

この戦争で収めた成果を永遠に生かし、さらに一層国運をさかんにするには平時戦時の別なく、まずもって、外の守りに対し重要な役目を持つ海軍が、常に万全の海上戦力を保持し、ひとたび事あるときは、ただちに、その危急に対応できる構えが必要である。

ところで、戦力というものは、ただ艦船兵器等有形のものや数だけで定まるものではなく、これを活用する能力すなわち無形の実力にも左右される。百発百中の砲一門は百発一中、いうなれば百発打っても一発しか当たらないような砲の百門と対抗することができるのであって、この理に気づくなら、われわれ軍人は無形の実力の充実すなわち訓練に主点を置かなければならない。

この度、我が海軍が勝利を得たのは、もちろん天皇陛下の霊徳によるとはいえ、一面また将兵の平素の練磨によるものであって、それがあのような戦果をもたらしたのである。もし過去の事例をもって、将来を推測するならば、たとえ戦いは終わったとはいえ、安閑としてはおれないような気がする。

考えるに、武人の一生は戦いの連続であって、その責任は平時であれ戦時であれ、その時々によって軽くなったり、重くなったりするものではない。ことが起これば戦力を発揮するし、事がないときは戦力の涵養につとめ、ひたすらにその本分を尽くすことにある。過去一年半、あの風波と戦い、寒暑に耐え、たびたび強敵と相対して生死の間をさまよったことなどは、容易な業ではなかったけれども、考えてみると、これもまた長期の一大演習であって、これに参加し多くの知識を啓発することができたのは、武人としてこの上もない幸せであったというべきであり、どうして戦争で苦労したなどといえようか。

もし武人が太平に安心して目の前の安楽を追うならば、兵備の外見がいかにりっぱであっても、それはあたかも砂上の楼閣のようなものでしかなく、ひとたび暴風にあえばたちまち崩壊してしまうであろう。まことに心すべきである。

むかし神功皇后が三韓を征服されて後、韓国は四百余年間我が国の支配下にあったけれども、ひとたび海軍が衰えるとたちまちこれを失い、また近世に至っては、徳川幕府が太平になり、兵備をおこたると、数隻の米艦の扱いにも国中が苦しみ、またロシアの軍艦が千島樺太をねらってもこれに立ち向かうことができなかった。目を転じて西洋史をみると、十九世紀の初期、ナイル及びトラファルガー等に勝った英国海軍は、祖国をゆるぎない安泰なものとしたばかりでなく、それ以降、後進が相次いでよくその武力を維持し世運の進歩におくれなかったから、今日に至るまで永く国益を守り、国威を伸張することができたのである。

考えるに、このような古今東西のいましめは、政治のあり方にもよるけれども、そもそもは武人が平和なときにあっても、戦いを忘れないで備えを固くしているかどうかにかかり、それが自然にこのような結果を生んだのである。

われ等戦後の軍人は深くこれらの実例を省察し、これまでの練磨のうえに戦時の体験を加え、さらに将来の進歩を図って時勢の発展におくれないように努めなければならない。そして常に聖論を奉体して、ひたすら奮励し、万全の実力を充実して、時節の到来を待つならば、おそらく永遠に護国の大任を全うすることができるであろう。神は平素ひたすら鍛練に努め、戦う前に既に戦勝を約束された者に勝利の栄冠を授けると同時に、一勝に満足し太平に安閑としている者からは、ただちにその栄冠を取り上げてしまうであろう。

昔のことわざにも教えている「勝って、兜の緒を締めよ」と。

連合艦隊司令長官 東郷平八郎
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ちなみにこの近代戦史に燦然と輝く奇跡の大勝AND元帥のありがたいお言葉「昔のことわざにも教えている「勝って、兜の緒を締めよ」と。」を頂いてからきっちり40年後の1945年、今度は同じく人類史上ありえないような酷い負け方をしました。日本人と言えども大帝国に番狂わせの大勝を2度(大清帝国とロシア帝国)もするとどうしようもない位に慢心するものなのでしょう。それにしてもたったの40年ですよ。私的にはこの間はなかったことにして欲しいくらいです。逆に言えば江戸時代のサムライスピリッツはこのくらい偉大だったという事でしょうか。みんなで「ラストサムライ」を観賞して、サムライスピリットのなんたるかを思い返して欲しいくらい(笑)

戦争ではありませんが、バブル後の日本のしおれ方も何か情けないものを感じることしばしば。経済や軍事、お金に依存しない国の隆盛を日本は考えられるポジションにあります。日本は物質ではない豊かさに最も近い国のひとつではないかと思います。


平成二十八年皐月二十七日
不動庵 碧洲齋