衆を以て寡を伐つ

中国春秋戦国時代には王で傑出した人が少なくないのですが、中でも個人的に文武両道のバランスの取れた、覇者と言ってよいと思っている人が1人います。
それは斉の威王、田斉になって4代目の王です。
初めのうちは暗愚を装って3年ほど国政を放置していましたが、淳于 髠という説客が、
「わが国には大鳥がいて、王庭にとどまっておりますが、この3年間鳴くことも飛ぶこともしません。この大鳥はなんでしょうか」と問うと、
「此の鳥、飛ばずば即ち已まん。一たび飛ばば天に沖せん。鳴かずば即ち已まん。一たび鳴かば人を驚かさん。」と答えたそうです。そしてその放蕩の3年間、じっと観察してきた家臣の内、優れた者には褒賞を、怠惰であった者は処罰を迅速に下しました。日本では「3年鳴かず飛ばず」の故事として知られています。
また、威王は城下町には色々な学説の学者を中国各地から呼び集め、自由に研鑽させました。稷下の学士と呼ばれています。時々威王は彼らを城に呼んで意見を聞いたりして、施政に役立てました。

威王はなかなかの逸材を軍事顧問として採用しています。彼の名は孫臏(そんぴん)、孫子として知られた孫武の孫に当ります。彼の逸話は割愛しますが、私は威王が孫臏に質問をしたあることで、ある意味戦争の本質を知った気がしたものです。それが以下の問い。
「我が軍は強く敵は弱い、我が軍は多く敵は少ない、この場合の戦術は如何にすべきか?」
こういう問いを発する人はなかなかいないと思いますし、他の兵法書ではあまり見たことがありません。

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少ない戦力で強大な敵を撃破する方法を編み出したり、実行に移して成功するとドラマです。物語になります。その人はヒーローになります。
が、人類の戦争の歴史では大体同じ条件なら9割方は「数が多い方が勝ってきた」という事実があります。
同じ条件どころか、多少不利な条件でも基本は数が多い方が勝ちます。
日本の近代史では海軍戦力に限っても清国が日本の約2倍、ロシアは約3倍、アメリカに到っては10倍近い戦力差がありました。いつも劣勢であることが常態でした。故に近代に入っても日本人はどうも寡を以て衆を打つことが常態と考えるようになりました。

太平洋戦争の米軍は例えば50機の戦闘機部隊があるとすれば、パイロットは100人から150人いて、ローテーションで戦っていました。日本はパイロットが消耗するまで戦いました。アメリカではエースパイロットが出にくい代わりに、いつも十分に休養を取ったパイロットが多く、その分損失も少ない。
現在では特に1回の作戦行動期間が長い潜水艦などがこのようなシステムになっており、例えば50人の乗組員の潜水艦には150人いて、一組は乗り組み、一組は基地で訓練や講習、一組は休養という具合になっています。
贅沢なシステムですが1人をこき使うよりも能力を引き出せるそうです。

相手を圧倒する数を揃えられれば、基本的に小難しい作戦は要りません。名将もベテラン兵士も超兵器も必須ではありません。どれだけ大量に数を揃え、効率よく運用するか、これを「戦略」と言います。
逆に優れた少数精鋭が、多数を戦場でどんなにうまく撃破しても(これを「戦術」と言います)、戦局というものはそうたやすく逆転しません。戦術の勝利はあくまで戦略の勝利の駒です。アニメでは一点物の秘密兵器とか試作兵器が大活躍して戦局を変えたりしますが、実戦ではまずありえません。

そしてその「数」を揃えられるのが国力であり産業であり、それらを支えるのが教育、さらにそれらをうまく舵取りするのが政治と言えます。

兵法書には得てして秘伝と言うよりも当たり前すぎるぐらい当たり前の事が書かれているものですが、少数で多数を打つようなことを記載しているようなものは基本偽本か、後世に仮託されたものであることが多い。基本的に戦略的視野で見た戦術が書かれているものです。

私は諸葛孔明がずっと理想像ですが、物語の孔明はどうも少数で多数を打つ、いかさま師っぽくなっていて、実像とかけ離れています。逆に言えばあれだけの天才(だったとしても)ですら、蜀漢を正統王朝に出来ませんでした。これが現実です。(ま、私は曹操も大好きなのでこの成り行きには納得してますが)

そう考えると昨今問題が呈されている社会格差にも当てはまるかも知れません。家が豊かであれば、子供は大した資質がなくとも恵まれた教育環境に身を置くことができ、恵まれない家庭の才能ある子供を凌いでしまう事になります。人のためにある社会としてはそういう事態はなるべく回避させるべきではないかと思います。

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孫臏は40年ぐらい前に木簡で発掘されるまで、1000年以上も幻の兵法と呼ばれていました。私が所蔵している徳間書店版は発掘後にすぐ解読された初版本と言って差し支えないものです。日本には多分これを含めても2.3種類ぐらいしか出版されていないと思います。この本も解読不明な文字はそのままになっており、今後の研究解明に期待が掛かるところです。

平成二十八年皐月三十一日
不動庵 碧洲齋