矛盾と教外別伝

最近、ずっと引っかかっていた命題がある。
それは「韓非子」に出てくる話の一つ。
「韓非子」とは中国戦国時代末期の思想家韓非が記した著書で、かの秦の始皇帝が感嘆した内容で、実際始皇帝は秦帝国の治政は「韓非子」によるところが大きかったとされている。諸子百家で言えば「法家」に該当する。法家の著作もいくつか現存しているが、おそらく「韓非子」は戦乱の世の終末期に出現した集大成といえるだろう。内容は冷酷非情を極め、簡単に言えば東洋のマキャヴェリズムである。
マキャヴェリの最後は皮肉な喜劇を書いて過ごすというさみしいものだったが、韓非は才能を妬むかつての同塾仲間で秦の宰相であった李斯の計略で毒殺されたという、書いた割にはなんとも情けない最後だった。

「韓非子」の中に「難編」という章がある。その中の一つの話だが、日本では「矛盾」の話として知られている。実は矛盾は「韓非子」の中で冷酷非情な政治テクニックをテーマにした話のたとえ話だった。中高校の漢文の授業で勉強しているはずだが、学校の先生も出典や前後の話を知らず、中国史マニアだった私は呆れたものだった。学校の文系授業ではマスコミよろしく切り取りした部分だけを教えていて体系立ってない。

その矛盾の話が出てくる話の全部が以下の通りである。
現代語訳は徳間書店版のを私が簡素にまとめた。

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歴山の農民が田畑の境界を争っていたが、舜が赴き共に農耕に従事したところ1年で争いは止んだ。
黄河の漁師が釣場を争っていたが、舜が赴き共に漁業に従事したところ1年で年長者に譲られるようになった。
東夷の陶工が作る陶器は粗悪だったが、舜が赴き共に作ったところ1年で陶器の質は立派になった。
この話を聞き講師は感嘆した。
「これらは本来、舜の本来の役目ではないのに自ら赴き改めさせた。これは立派な仁である。自ら労働を実践することによって、人民を倣わせたのだ。これこそ聖人の徳の力というものだろう。」
ある人が儒者に尋ねた。
「この時、堯は何をしていたのか」
儒者曰く「堯は天子であった」
そこである人が反論する。
それならば、孔子が堯を聖人と称するのはいかがなものだろうか。
すべてを見通す聖人が天子であれば、天下からすべての悪を追い払えるはずだ。もし天子の堯がそうしていたら、農民や漁師も争うはずはないし、陶工も粗悪品は作らない。そうなれば舜は徳を施すすべはない。故に舜は間違いを正したことは、堯に失政があったことになる。舜を賢人と言えば堯がすべてを見通す聖人だったと言うことはできない。堯を聖人と言えば、舜が徳を施したと言うことはできない。両立は不可能である。

例えばこんな話がある。
楚国に盾と矛を売る商人がいて、盾の宣伝をした。
「この盾の丈夫さは優れており、いかなるものでも突き通せるものではない。」
次に商人は矛の宣伝をした。
「この矛の鋭さは優れており、いかなるものも突き通せぬものはない。」
ある人が尋ねた。
「ではその矛でその盾を突いたらどうなる?」
男は答えに詰まった。

いかなるものでも突き通せない盾と、いかなるものでも突き通す矛は同時に存在し得ない。堯と舜を同時に誉め讃えることができないのは、、この盾と矛のたとえと同じである。
また、舜が正したことは年に一つ、三年で三つである。舜は一人しかいないし、その寿命には限りがある。ところが世の中の問題には限りがない。限りがあるもので限りないものを追ったところで、いくらも防げるものではない。正せるものはわずかである。
ところが賞罰によれば世の中の問題は必ず防ぐことができる。「「法にかなう者には賞を与え、外れる者には罰を加える」と、命令を下せばその日のうちに人民はこれに従い、十日もあれば命令は国中に行き渡る。1年もかけることではない。

舜は堯に賞罰を使わせずにわざわざ自ら赴いた。なんと知恵のない話ではないか。
それに自ら労働を実践して人民を導くことは、堯や舜にも難事だった。だが権力によって人民に命令を下すことは名君でなくともできること。施政にどんな君主にでもできる方法をとらずに、堯舜でさえ難しい方法を使う。これは政治を全くわかっていない証拠だ。
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高校生の頃は「北斗の拳」のラオウかサウザーが愛読したとも思われるような惚れ惚れする内容に傾倒したものだったが、今読むとなるほどこれでは謀殺されるなと思わなくもない。高校生の時よりは知恵がついてきたのか何なのか。

堯とは中国の神話伝説時代の帝王で、一般には三皇五帝とまとめられているが、その5人の帝というのが始祖の黄帝をはじめ、少昊(又は顓頊)、嚳、堯、舜となっている。つまり堯が天子だったときの下臣が舜だった。ちなみに舜が帝位を譲られたときの下臣に禹がいて、治水工事の成功を以て帝位を譲られ、存在が確定するかしないか調査中の、中国最古の王朝「夏」初代王である。

高校生の頃は韓非の合理的な施政に大変感銘を受けたものだが、今改めてそれを読み返してみるとなんとも抜けの多い理論だと思わなくもない。
韓非の主張する法術は間違ってはいないが、用法には過大な誤用がある。また比較論も長さと重さを比較しているような無理がある。

さて、私が注目したのは舜の方法。彼のやり方はまさに禅的な「教外別伝不立文字」の方法(笑) ほかの動物が自分の子供に施している教え方と全く同じである。嘘偽りはもちろんのこと、虚飾なども全く通用しない「やって見せて教える」方法。「言葉があるから人は違う」などと思い上がった韓非こそ、同学のよしみで秦帝国の宰相だった李斯の誘いの言葉にだまされて結局毒殺されたことを考えると(李斯は韓非の才能を恐れて殺害した)、一体どちらが正しかったのか。自分で書いた思想の通りに処されたというのは同情するより笑える結末ではあるが。本章の説話のごとく自らの教えが矛盾だったというのは皮肉ではある。

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令和元年霜月二日
不動庵 碧洲齋

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