碧呟聲 -良師逢見-

3年習うより3年良師を尋ねるべし

前にも同じタイトルで書いたのだが、本件は求道者にとっては至高の命題と想う故、再度取り上げる。
昨今、師と言っても色々な側面があるが、どれに関しても言えるのは「技術を教える以上の人」でなくてはならない、ということは間違いない。技術だけを教える人は所謂「インストラクター」である。そのちょっと上が「メンター」だろうか、その上に「マスター」がいるように思う。

私は当流の中で毎年数十ヶ国の同門と会うが、よく良師に出逢えていない人が少なくない。
私の見立てでは本人は真面目だし努力家にもかかわらず、今まで師事してきた先生の中にはこれという人と出会えていない不幸な門下生もいる。

この良師逢見だけは神機が働くのではないかと思うことしばしば。
私などは金運などからは完全に見放されているが(笑)、武芸にしても禅にしてもおよそこれ以上望めないレベルの師とサクッと出逢えている。良師運はバツグンにいい(笑)
この運をもう少しくじ運とか金運に回せないものか(笑)

基本的にドラマのように良師に出逢える確率などはそう高くない。個人的経験で言えばよい先生がネットに引っかかってくるとは限らないし、ネットで高い評価を受けている先生が良いかどうかも分からない。良し悪しはひとえに自分に合っているかどうか、自分にシンクロしているかどうか、である。だから客観的評価から探すのは難しい。現在ではネットを使うなとは言えないが、ネットで大体の目見当を付けたら、やはり自分の脚と目を使って見定めるべきである。

それと良師逢見効果は必ずしも出逢えなくてもよい場合がある。
それは求道者が良師を求めて訪ね歩く期間が自らを高めるということ。
良師に出逢える確率を高める要素のひとつは、自ら高い志を持つこと。現れるかもしれない師は求道者の志とそれ程違わない人のはず。自身相応の師しか現れないものだ。
故に常に高い志を持ち精進していれば、ある意味良師に出逢わずとも良師効果はあると言える。

私は武芸においても禅においても大変優れた師に出逢うことができた。毎日のように心の中で感謝を忘れないようにしている。

令和二年睦月十二日
不動庵 碧洲齋

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