王道

原典は儒教である。
徳の高い君子が歩むべき道を指していると言われている。

面白いことに辞書には「安易な方法」「近道」も併記されている。こちらの原典は英語の「royal road」から来たらしい。あるときエジプト王の問いに対して数学者が答えた「Ther is no royal road to learning」(学問には王道なし)という言葉が由来だそうな。
これは私には意外だった。

それで現在、私たちは「正攻法」や「正統な方法」、「定番の方法」や「基本の方法」という意味合いで使うことが多い。儒教的な意味合いでは本来こちらではないかと思うが、何故国語辞書に英語の出典が日本語として記載されているのか不思議である。

私は自らの美学として、可能な限り王道を征くように心掛けている。
そんなに大仰な事ではない。
ちょっと電車やバスに間に合わなさそうだから走る。ちょっと信号が赤になりそうだから走る。
ちょっと混んでいるから裏道を使う。ちょっと疲れているから偶然空いた席にせかせか座る。
棚の商品が少しなので慌てて取る。などなど。
そういうことをしないという意味だ。
十分に時間を取って出立した後は、少々の遅れぐらいで動じたり、数分や少しの疲れのためにあくせくするのは人として優雅ではない。
そういうせかせかしたことを習慣的に行うと、そのような考えになり、そのような人間になってしまう。多少の誤解を恐れずに言えば、人は少々ものぐさぐらいの方がいい。

もう10年以上前のことだったか、禅の師匠に独参を許された折、初めて相見するため入室しかけた時にビシッと言われたのが「宇宙全体を引きずって来なさい」だった。言われた瞬間にプチ悟りを得た気分だった(笑)

何かをしながら別のことを考える、現代ではそうでもしないと日々の営みが追いつかないこと多々あるが、本来人があるべきは動物と同じ「今ここ」。上の空、心ここにあらずであってはならない。これは日々の生活然り、応用として武芸でも然り。

日々泰然としていると、いつの間にかそれが自分の雅さになっていく、私はいつもそのように思っている。

令和二年睦月二十七日
不動庵 碧洲齋

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