恥の文化

恥の概念は日本人だけと言われているが、実際に米国と豪州に住んでみてそんなことはないと思ったものだ。一般的通念として恥というのはどの国にもある。ただ日本の恥とそれ以外とでは何が違うのか、思いついたことを徒然と。

まずタイムスケール。先祖とか子孫にまで及ぶ。私の甲冑仲間には未だ東軍VS西軍の観念を真面目に維持しているのはご愛敬としても、今道徳的社会的な恥をかいたら、その不名誉は3代にも及ぶ、とか、それに類する考え方をする人は多い。最近、想定外の不道徳な事件が大きく取り上げられるのは今までそういうことが少なかったから。欧米人の場合は家族単位で考えることはあっても、世代を超えてと言うのはあまりない気がする。たまにそれを持ち出すと所謂名家のような感じを受けるが、日本では名家でなくともそういうものの考え方をする。

重み。これが良くも悪くも重石になって働いている。学校で積極的に手を上げない、社会では率先して起業しない、なんていうのももしかしたら失敗したときに恥を掻くから、という考えがあるのかも知れない。これについては欧米の方の捉え方「聞くは一時の恥、きかぬは一生の恥」の如く、日本人がもっと積極的になって欲しいところ。良い面ではこれがあるから犯罪率や道徳的に悖ることが少ないと言える。米国に行ったときなどに驚いたが、世界的に考えても一般通念としてあり得ないような不道徳な行為をする人が日本よりも遥かに多かった。

7割の恥と3割の名誉。割合は私が勝手に振っただけである。海外では頻繁に誰かを賞賛したり栄誉を称えるが、基本日本では引き算的な評価である。が、それだけにたまにある名誉の授与が殊更素晴らしく見える。江戸時代などでも先祖伝来の家と地位を維持するサムライが多かったが、ごく希に抜きん出た嫡子がいると一つ二つ地位を上げたりするとそれこそ尾ひれが付いて後世伝説になったりもする(笑) ほめて育てるというのは確かに正しいと思うが、やはり日本式に控えめの方が良い気がする。

これは我が家の場合だが、恥の概念を植え付けるには先祖と神仏を敬うようにしている。ありきたりである。先祖から脈々とお前まで血が繋がってきたのにお前が一族の恥になるようなことをしたら云々、仏様は全部見通しているからどんなに隠れていても悪いことをしたら云々、昔から言われてきたことであるが、小さい頃からこれをしていると子供は結構道徳心の高い心を持つ。

一番してはならないのは他の子供と較べて運動や勉強ができないのが恥だと思わせてしまうこと。恥の判断基準は生身の人間ではない方がいい。子供と言わず比較対象を設け、しかも偉人賢人でもない人だったりすると、恥の概念も矮小になるし高貴ではなくなる。品がなくなるというのか。やはり人智を超えたものを崇拝するのが一番である。

ただその場合、自分自身も神仏や先祖に崇敬の念を持っていなければならないことは言うまでもない。結局それは自分自身のためでもある。
キリスト教圏の場合だが、神様は恥を掻いても許してくれる存在である。だからよく言えば何事も積極的になれるのだろうし、悪く言えば許してくれるのだからと不道徳になりかねない。日本ではあまりない「許す/許さない」という考え方。これは一神教的な考え方ではなかろうか。

日本の恥の概念は伝統的通念として、日常の習慣や生活に密着している。古い国だけにそれとは気付かない事も多く、より分けるのもなかなか困難ではあるが、その恥の概念をより良く利用できるよう日本人が努力していけば、これもまた日本が誇れるものの考え方になるのではないか。

令和弐年弥生十八日
不動庵 碧洲齋

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