守破離で言えば離

源義家は平安後期、西暦で言えば1039年頃に現在の大阪辺りで生まれました。長じて東方方面の遠征を重ねて武勲を上げ、八幡太郎とか武神など、誉れ高い武人として知られています。この源義家が注目されている点は武芸を嗜んでいる人なら分かると思いますが、今まで貴族の犬として地方の荘園を守護していた武装集団、今で言うところのガードマンから現代で言うところの「武士」に変貌を遂げた時期でした。この源義家を以て武士の到来と言われています。つまり源義家こそが元祖武士と言えるでしょう。

京の都から離れて地方に行き、実際に血みどろの戦いをする。しかしこれは自分たちの為ではなく、京都で優雅に暮らしている貴族たちのため。討伐から帰投しても蔑まされたり、軽く見られたことが幾多もあったようです。太古の昔、皇祖の代から平安時代までは「軍隊」は「兵士」らによって編成されて、多少優秀な人間でも結局貴族たちの飼い犬でしかなかった、という時代が続いていました。

が、この源義家は違いました。遠く離れた辺境で戦っている内に、それまでのやり方に疑念を持ったのでしょう。政治の中心から離れて初めて見えるものもあります。源義家は1106年に亡くなりますが、その約80年後に鎌倉幕府が誕生します。以後、700年近くが武士による統治の時代でした。多少詳らかに言えば鎌倉時代と鎌倉時代を合わせてざっくり300年、戦国時代と安土桃山時代で110年、江戸時代が265年。こんな感じです。実際、血みどろの戦闘があったのは安土桃山時代までで、江戸時代のほとんどは戦はありませんでした。

鎌倉時代と室町時代は下ごしらえ、戦国時代は仕込み、江戸時代は熟成待ちでしょうか(笑) この武士文化、恐るべき事に明治以降の近代化の波にも負けず、しぶとく生き延びます。先の戦後でも徹底的に取り締まられますがそれでも生き延びます。今や金髪で青い目のサムライも別段珍しくありません。世界のサムライになりました。古の戦闘技術が昇華するとこのようになるのかと、日本人である自分でも驚きを隠せません。うまい具合にこれらの時代が作用したのかも知れませんが、単なる戦闘技術以上に昇華させ、しかも全く文化の異なる外国人にまで虜にさせてしまう日本の武芸はやはりただものではなさそうです。

一武芸者としてこの奇跡の事実を大切にして参りたい所存です。

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*写真は千葉県流山市の諏訪神社にある源義家公と神馬の銅像。東北方面に討伐の折、この地にあった諏訪神社にて戦勝祈願をする為に立ち寄り、見事討伐を成功のうちに収め帰路に神馬を献上したと言われています。

令和参年辛丑卯月三日
不動庵 碧洲齋

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