天上天下唯我独尊

本日はお釈迦様の誕生日に当ります。
キリスト教では12月24日は盛大に盛り上がりますが、どうもこの4月8日が盛り上がらないことに一仏教徒として些か不満に思います(笑) 日本ではクリスマスがこれだけ隆盛しているのだから誕生会(たんじょうえ、と呼びます)も盛り上がってもいいような気がするのですが・・・まあ、キリスト教の場合、馬小屋で生まれて高名な学者が3人も駆けつけて、しかもお母さん、バージンだったとかいう、ドラマチックな状況に人は酔うのかも知れませんが。

このお釈迦様、生まれた時に色々な伝説がありますが、よく知られているうちのひとつは生まれてすぐ7歩歩いた後、右手を天に左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と仰ったそうです。生まれたばかりの赤子が歩いたりしゃべったりするわけないでしょ、っていうツッコミはありますけど(笑)

この「天上天下唯我独尊」です。字面だけ読むとなんともエゴイスティックなオレサマ感たっぷりに見えます(笑) そんなこともあって後世、全く以て誤用されているようです。

この「天上天下唯我独尊」の要は「我」にあります。この「我」が何なのかでこの文句が決まると言っていいでしょう。中国語はもちろん、日本語でも「我」と言えば一個人、一人の人を指し示します。普通はそう考えてしまいます。そしてもちろん、お釈迦様はそういう意味で言ったのではないと思います。

私、私の家族、私の親族、私のふるさと、私の国、私の星、私の恒星系、私の銀河系、私の宇宙・・・「私」に綿々と連なる縁全てを指して「私」と為したのではないでしょうか。簡潔に言えば私=大宇宙でしょうか。足下の砂粒から天空に見える果てしない大宇宙に至るまでが「我」です。これらが全て、尊い何かで作られています。私の体は間違いなく私のものだと勘違いします。でも考えてみて下さい。私たちは生まれる日も死ぬ日も自分で決められません。自分で直接自分の顔も見られませんし、自分の背中も見えません。自分に降りかかる悪運も避けられません。もし「私」が完全に「私」のものでしたら、そういうことは起きません。それこそが「我」が「我」だけに収まらない、真の証左ではないでしょうか。

宗教によって言い方が違います、無、空、仏、神、原子、素粒子、同じものを違う言葉で言うことしか、私たちにはできませんが、ともあれその等しくたった一つしかない尊いものこそが、この大宇宙を構成しているものだと思えば、本来無益な争いや不毛な感情による諍いなど起こるはずもありません。そう思っていない、あるいは何か勘違いしている人間だけがつまらぬ衝突を起こしています。

森羅万象、例えば犬猫でも悟っているこの偉大な真理を分かろうとせず、「小我」こそ尊いと勘違いしている前提で生きている為にこの世で戦争などがなくならないと思ったりします。

この世を構成している全てのもの、全ての現象は「Made by God」そう想って世を観ると、今少し違った見え方がするのではないでしょうか。

*上記は私の禅の師匠の受け売り構成したものです。一在家の戯れとご理解下さい。
*ちなみに本日はうちの愛猫メイの7歳の誕生日です。メイも仏の一つの在り方ですニャン

誕生会に
令和参年卯月八日
不動庵 碧洲齋

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