令和元年 露国旅行記 壱

18日の帰国から色々忙しくてブログにしたためるのを忘れていました。毎度おなじみのロシア旅行記です。
今年は8月8日から18日までの11日間。往路1日、復路2日ですから実質滞在9日間でしょうか。
日本の灼熱地獄から逃れるべく、成田空港からJALのB-787にて飛び立ちました。
往路は9時間少々。今回は秘密兵器「ハニカム構造ジェルマット」を持参しました。会社で1.2週間程度使ってみましたが、これはなかなかイケそうな感じがしたので持参してみましたが、大正解。お尻の下が大変快適でした。ただJAL/B-787の名誉のために言っておきますがJAL/B-787エコノミーシートはベストアワードにも選ばれたぐらいのスグレモノ。本来そのままでも他航空会社のシートを凌ぐ快適さであることは間違いありません。今回は映画のラインナップも悪くありませんでした。

DSC_1866.jpg

食事はさすがにうまい。これも何度もベストアワードに輝いているだけあります。私は基本全部食べます。ま、飛行機に何かあった場合のことなども考えてですけど。
モスクワ・ドモジェドヴォ国際空港は快晴。よく晴れていたものの涼しい。友人と合流して友人宅に。その日は彼の両親と挨拶してゆっくり休む。ロシアの家庭料理はどれも美味しい。多分日本人好みだと思います。そして夜は座禅2炷してから就寝。


翌日は私の希望で久し振りにモスクワ中心街に行きました。
気温は16℃ぐらいに急落して晩秋のような寒さでした。幸い私は春秋用のジャケットを持って行ったので事なきを得ましたが、もう少し寒かったらダウンジャケットが必要だったレベル(笑) で、時折日本から高温注意報のメールが入ってくるのでそれはもう天国にいるような気分でした(笑)

DSC_1871.jpg
さて、行った先はバンカー42という名の施設、冷戦時代まで使われていた地下司令部で現在は博物館。
ごく普通のオフィス街の中にあります。ぱっと見、全然分かりません。
ネットで知っただけなので友人に頼んだだけですが、入口が狭いのでツアー形式でしか入れません。幸いにも英語ツアーもあり、20-30分待ったあとツアーが始まりましたが、50人前後の人数の内、何故か15人程度は中東人だったのですが、降りたあと、目をギラギラさせて異様に興奮していたので怖かったです(笑) 決して固定観念や先入観で見てはいけないのでしょうけど何か興奮気味に語っていましたが、よからぬ話ではなかったことと願いたい。

DSC_1876.jpg

地下施設は直径10m?程度で全長100mはない程度の空間が4本並んでいるそうです。深さは30m以上はあったか、18階建てビルの高さとか言っていました。入口には30-40cmの厚さのあるドアがあり(現在は飾り)昔はそれが5枚あったとか。階段は狭くすれ違いが難しい。最近はエレベーターも作られたものの小さいので子供や老人、障害者が優先されます。

DSC_1885.jpg
DSC_1892.jpg
地がに降りると一番外側の壁は地下トンネルなどで使われているシールド工法の壁面のようでした。その中に会議室や指令センター、各種設備などがありましたが私が訪れたのは2本ぐらいまでです。他にもレストランがあって別料金で行けるようでしたがあんなところでメシを食う気になれません。多くの他の方々もそうでした。降りてまず感じたことは圧倒的な外側の圧力感と絶望的な孤独感。地下に降りたらアメリカもソ連も関係ない感じがします。あんなところで報復攻撃の作業をするとか、核攻撃に耐えるということは精神的に難しいと思います。説明では「アメリカが核攻撃を行った場合、首脳部がここに退避して報復攻撃をする」と言ってましたが、私はアメリカに行ったときも幾つかの核兵器関連の博物館に行きましたが、そこでは「ロシアが核攻撃を行った場合、アメリカには報復攻撃ができる十分の設備がある」とか言ってました。なるほどどうりで世界に平和が訪れないわけだと、モスクワの地下シェルターで絶望的な気分になりました。
地上に戻ってきたときは本気で気分が悪くなりました。外は冬のように寒かったものの気持ちよかった。
一息ついてから友人に尋ねました。
「今日、何故私がここに来たかったか分かる?」
友人は即座に答えました。
「はい、今日は長崎に原爆が落された日だからです。だからあなたはここに来たかったのだと思いました。」
さすが我が友、と感心しました。当日8月9日は長崎に原爆が落された日です。しかしツアーではそんな話しは全く出なかったし、恐らくツアー客でそれを認識していたのは私と友人だけだったのではないか。核戦争というものが人類にとって壊滅的、破滅的なシロモノであることを日本人以外、ろくに理解されない理由はこういうところにある。核戦争に較べたら大国の正義などクソのようなものだ。どうして世界はこれを理解しないのかと嘆かずにはいられない。私は折りある毎にFBなどにも書くのですが、どうしても1国の大義から離れられない愚か者があまりにも多い。核兵器はそんなつまらないものは一瞬の業火で焼き尽くしてしまうことをどうしても理解しないのが本当に悔しく思う。
ともあれ私の真意をよく理解した友人に誉あらんことを。こういう友を持てる歓びは至上のものである。
その後カフェで一息ついてから別の友人グループに合流してしばらく歓談して終了。
この日も2人で座禅2炷坐る。

続く

令和元年葉月三十日
不動庵 碧洲齋

"令和元年 露国旅行記 壱"へのコメントを書く

お名前:
メールアドレス:
ホームページアドレス:
コメント: