矛盾と教外別伝

最近、ずっと引っかかっていた命題がある。 それは「韓非子」に出てくる話の一つ。 「韓非子」とは中国戦国時代末期の思想家韓非が記した著書で、かの秦の始皇帝が感嘆した内容で、実際始皇帝は秦帝国の治政は「韓非子」によるところが大きかったとされている。諸子百家で言えば「法家」に該当する。法家の著作もいくつか現存しているが、おそらく「韓非子」は戦乱の世の終末期に出現した集大成といえるだろう。内容は冷酷…

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初心忘るべからず

今朝、たまたま手にした円覚寺管長横田南嶺老師の本にいいことが書かれていました。ちょっと抜粋します。 修行といいますと、はじめ何も分からない修行僧がだんだん修行を重ねて偉くなっていって、先輩の雲水になり、役位という僧堂の運営に携わる立場になり、やがて和尚さんになってゆくと、修行が進んでゆくように思われます。和尚さんの中でも更に進めば老師さまや管長になってゆくよ思われるかも知れません。私も初め…

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ただそのままに

「イヌはワンワン、ネコはニャーニャー、スズメはチュンチュン、カラスはカーカー」 よく禅の師匠が言う言葉です。 それらの動物は「自分」を意識しません。「自分」がその動物であることはもちろんのこと、自分の存在すら意識していないのかも知れません。自然本能として個体を守る以上には自分は無いのかも知れません。 人は「自分はワンワン」と言っているのに相手は「ニャーニャー」と言うのでストレスが溜…

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断食明け

3日間の断食明け。 今朝の粥座がありがたくも楽しみだったこと。 3日ほどの断食であれば身体には大きな負担もなく精神修養にも内観にも適しています。 食を断つ間、多くの事に気付かされ、我が身を誡めること再びです。 その色々な気付きと食を頂けることに深く感謝をしたいと思います。 平成二十九年如月二十日 不動庵 碧洲齋

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執着から離れる

うつせみの 水面に映る ありのまま 波が立とうと 風が吹こうと 執着という言葉があります。 執という漢字の甲骨文や金文だと字源に近い意味が分かるそうですが、手枷に手を捕えて跪く人の形を象り、捕えるの意味を表わすそうです。 執着のない人はまずいません。深く修行をした禅僧ですら「修行」に執着しているとすら言えます。とはいえ、執着がよい方向に向っている場合はやはり社会には…

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見え方について

週末は息子と秋葉原に買い物に行きました。 その折、息子が人間の目とデジタルカメラのスペックについて聞いてきました。 私もそれほどには良く知りませんでしたが、画素数はそれほどでもないにしても各種補正機能や視認範囲などは人の目は機械を遥かに凌ぐ性能だと言いました。後でネットで調べると光の処理についてはお話にならないほどに人の方が優れているそうです。 しかし、問題は「見えているように人が認識…

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透過する

生きていると毎日でないにしても、頻繁に嫌な事や嫌な人と対面せねばならない事があります。予定されているものも嫌ですが、偶然、突然それがあったりするのも本当に嫌なものです。 私は寛容な人間ではありません。ハッキリ嫌いな人もいれば、嫌なイベントもあります。嫌いな人は決して好きにはなれないだろうと思います。 自己弁護になるかも知れませんが、私が嫌いなのは私に対して明らかに攻撃的な人だけです。それ以外…

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臘八六日目

臘八示衆第六夜では、日本の臨済宗の祖、栄西が南宋より持ち帰ってきたお茶の由来が書かれていますが、意図するところはその効用の比喩。 栄西が宋に留学の折、病で臥せっていたところ、ある老人が熱いお茶を飲ませてくれたそうです。そしてたちまち回復したという話し。そこでお茶の苦みが心臓や内臓を強くさせると言うことを修行に当てはめていったわけです。 日本でも苦労は買ってでもしろとか言われますが、まさに…

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臘八五日目

禅は悟りを得るためにする修行とされています。 辞書には悟りとは「迷妄を払い去って生死を超えた永遠の真理を会得すること」だそうです。 特に禅宗では修行者がずっと苦しい修行をしていてもなかなか悟れずにいたのに、何かのふとしたはずみでぱっと悟ったりすることがしばしばあります。当然のことながらそれは言葉では言い表せない、一種独特な境地ですから、いくら言葉で説明されても本質的に分かるものでもなく。…

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臘八四日目

昨日ブログをアップし損ねてしまった・・・ ここ最近は友人の禅僧や師匠からのアドバイスもあって、結跏趺坐を左右両方組み替えて坐るよう心掛けています。普通は右足を左股に乗せる形で、これで2時間ぐらいなら十分維持できるのですが、更に長い間坐ったり、脚のいびつさから来る姿勢の崩れをなくすという視点から、逆もするようになりました。 先月ぐらいから坐禅会前の1時間では左足を右股に乗せ、座禅会が始…

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臘八三日目

それにしても「禅」という漢字はなかなか示唆に富んでいると思うことがあります。 「禅」は「示偏(しめすへん)」と「単(たん)」から成っています。 「単」は「ひとつ」、英語で言えばsingleを意味します。 示偏「礻」は自分の考えや物を人に見せることを意味するそうです。古代には生け贄や供物を供える台座を意味したようですが、神に自分の想いを示すところから来たのでしょうか。 つ…

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臘八二日目

臘八坐禅会では毎年、臘八示衆なる書物を老師によって提唱されます。 かいつまんで言えば坐禅に関する心構えを在家用に述べたものと言えます。 臘八大摂心の日にちと同じく7章で構成されていて、毎日1章ずつ読んでいきます。 これがなかなか面白く興味が尽きませんが、例えば本日の章には道を極めるに当って、心の中には護法神(協力者)と魔障神(妨害者)がいると記されています。いわゆる善と悪です。良い…

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臘八初日

師走朔日は禅宗において、特別な日になります。 仏教の始祖であるお釈迦様が、大宇宙の真理を得ようと一大決心をして「今、悟りを得られなければ生きてこの座をたたない」と誓い菩提樹の下で坐禅を組んだのがこの12月1日とされています。 禅宗の僧堂では臘八大摂心と呼ばれ、その故事の追体験をするために7日間寝ずに坐るという大変な修行が行われます。 お釈迦様は王子という、大変恵まれた地位を棄て、美…

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体に聞く

今回断食をして感じたことがあります。 それは食べる欲求には2種類あると言うこと。 ひとつは「体が欲しているから」。 もうひとつは「食べたいから」。 恐らく20代ぐらいまで、もしくは人によっては30代半ばぐらいまでは上記二つはほぼイコールの関係だったかも知れませんが、30代も半ばを過ぎればこれはイコールではなくなります。言うまでもなく「体が欲している」総量は「食べたいから」よりも少なくなる…

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一昨日に見た夢

妙に現実的でかつ詳細を極めていたので書き留めたいと思います。 いきなりどこかの駅から東武鉄道の特急スペーシアに乗り込む。 乗客としてではなく、乗務員の模様。しかも採用されて研修後? 他に同僚が2.3人いて、多分スペーシアの乗務員の最終試験とかそんな感じ。 乗り込んだのは乗務員入口ではなく一般の乗客入口。 通路を歩いていると、恰幅のいい初老の乗客がむせ込んで身をよじった。 私はすぐ…

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空気を演じる

声優の肝付兼太氏が他界されたそうです。慎んでご冥福をお祈り申し上げます。「ドラえもん」の初代スネ夫などで知られていますが、個人的にはやはり「銀河鉄道999」の車掌さんが一番印象深い。 Wikipediaにあった肝付さんの記事で、なかなか興味深いエピソードがありました。 「テレビアニメ『銀河鉄道999』の車掌を演じる際、「なんだこれは?」と喧々諤々で原作者の松本零士も肝付に車掌の正…

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五体満足のこと

昨日は横浜市内の寺に行って坐禅をしてきたのですが、昨年秋からずっと懸案事項になっていた右膝の痛みがほぼ完全に無くなったようでした。結局、治るのに1年近く掛かりました。オマケに左足の足底、踵の前辺りが痛くなる足底筋膜炎にもなりました。それからというもの、テクテク自分の足で歩くことが苦痛になり、自分には大変堪え難いものでした。これが30代だったらもっと早く治ったと思いますが、40代になると治癒力がか…

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坐禅会に参加する場合

春を過ぎる頃になると、坐禅会に参加する人が増えてきます。 特にここ最近は坐禅は大して道具もいらず、お金も掛からない修養ということで、人気があるようです。 私自身、特定の坐禅会に参加し始めて10年弱ですが、これから坐禅会に参加したいという方のために少々、一在家の視点で備忘程度にしたためたいと思います。 よろしかったらご参考ください。 特に深い悩みや苦しみが無い場合は坐禅はあまりお勧めし…

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明けの明星に想うこと

昨日はJAXAの金星探査機「あかつき」が5年前のトラブルを乗り越えて金星の軌道投入に再挑戦しました。先日スイングバイを終えた「はやぶさ2」には私と息子のメッセージが搭載されています。宇宙開拓時代が間もなくやって来るよういつも願っていますが、是非うまくいって欲しいところです。 今から概ね2500年ぐらい前、印度はブッダガヤの地で明け方にまさにその金星を見て偉大な悟りを開いた人がいました。仏教…

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第2回秩父巡礼(2015年)所感 - 参 -

13番でも相変わらずの雨。13番には1番札所同様に巡礼用品が売られている。 また、本堂以外に般若経が入った回転式の棚が収められた倉があり、それを1回転させると、それを読経したのと同じ功徳があるという。鎌倉の長谷寺にも同じものがあったが、こちらの方は結構重かった。 13番札所 撮影した本堂に紅輪が映っていた 13番を出て一路14番へ。600メートル足らず。閑静な住宅街の中にある。…

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第2回秩父巡礼(2015年)所感 - 弐 -

翌日朝は朝食が7時半。もう少し早いと良かったのだがやむなし。多分巡礼用の宿に泊まったらもう少し早かったと想像する。 先ずは車を旅館から最寄りの12番札所まで移動、そこで身支度をする。 雨がしとしと降っていたために雨具を着用。雨の量にもよるが、激しい降りでない限りはやはりポンチョが便利かと。上下セパレート式は登山には向いているが、巡礼向きではない。事実、巡礼中は意外に蒸れ、脱いだり着たりするの…

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第2回秩父巡礼(2015年)所感 - 壱 -

土曜日の春日部での稽古の後、露国武友を連れて自宅近くの駅まで。 あいにくの曇天で時折雨が降ったり止んだり。 駅近くの浅間神社では例大祭を催していたため、参拝後に露店を一巡する。 昨今の露店の種類の多さには驚かされる。私が子供だった頃に比べて、見たこともないようなものを売っている店が増えた。 小学校から高校ぐらいまでの子供たちが、めいいっぱい着飾って露店巡りをしているが、路地はぬかるんでい…

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あるがままにて

実は1ヶ月近く前から左足裏に痛みがあります。丁度踵の前内側土踏まずが始まる辺り。普通に接骨院に行っているのですが、さっき何気なく調べてみてショック。なんとwikipediaにも載っているぐらい普通にある症例のようです。足底筋膜炎、というのが症状で、足の裏にくまなく広まっている筋膜の骨との接続部分に起る炎症のようです。多分、普通の歩き方だと結構痛いと思いますが、私の場合は中心軸歩行法で外旋足(ん~…

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報恩坐禅会

昨日は有休を頂いて、新座市にある平林寺に行って参りました。 そこで何をしたのかというと・・・坐禅・・・。 ただの坐禅ではなく、来年が臨済宗の宗祖・臨済義玄禅師1150年、ならびに翌平成29年に迎える日本臨済宗中興の祖・白隠慧鶴禅師250年の両遠諱を記念しての行事の一環です。 たまには違うところで坐ってみたいと思った次第。 昨日は快晴ではありましたが、風が大変強く、小春日和ならぬ小冬日…

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人の一生は修行にありて

昨日はたまたまレンタカーがあったので息子を連れて坐禅会に行きました。 昨日は(今朝もですが)日本列島はかなりの強風。風速5メートル以上では自転車で12キロ先にある寺に行くのは情けない話しですがちょっと難しく。 いつもだと4時半には出立するのですが、自動車だと5時に出れば間に合うためにゆるりと仕度をしていたのですが息子の準備も急がせたので結局出立がギリギリ。 息子をせかしたのですが、息子は呆…

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省察

何とはなしに昔のブログを読み返してみました。 丁度父が他界した2007年です。 2月に父が他界して、色々あって武道も家庭も仕事も完全に行き詰まって本気で死のうと思いつめたかどうか、というところだったと記憶しています。 ブログの投稿回数を見ると2007年9月から2008年2月までの半年は月平均5回未満と私にしてはきわめて少なく、2008年の1月2月に至ってはそれぞれ2回と、超低空飛行…

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平成二十六年度 臘八坐禅会 七日目 所感

昨日は臘八坐禅会の最終日でした。 最終日にはおでんが振る舞われます。 最終日と言うことで昨日はレンタカーを借りました。外国人同門と秩父の宿坊で知り合った禅友も乗せるので借りたのですが、結局禅友と息子で行きました。 往路、息子は興奮しながら言いました。 「こんな大変な距離を自転車で行ったんだね!」 この感覚を教えたかったのです。 この禅友の祖父母の墓所が偶然にもそのお寺にあります。 …

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平成二十六年度 臘八坐禅会 六日目 所感

現代の文明の利器は、何がどう弊害なのか色々考えてみるとこれはまず一つに尽くように思います。 「何でも簡単に手に入る」 例えば服。150年ぐらい前までは原材料を揃えて機織りの準備をして、それから機織りをしますが、少し勉強して知った限りでは、機織にかけるまでの下準備の膨大な労力は、現代人からすると気が遠くなるほど。ドラマや映画では女性がパタンパタンとのどかに織っている風景しか見ません…

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平成二十六年度 臘八坐禅会 五日目 所感

これは本当にあった話です。 現在の鎌倉建長寺の管長を務められている吉田正道老師から私の師にされた話しです。 あるクリスチャンの女性がいて、毎日毎日真摯に祈っていたところある日突然、何か不思議な感覚を感じて周囲のもののみえ方が変わったという体験をされました。何なのか知りたいと思い、通っている教会の神父さんに尋ねたところ、本人も分からないものの、知り合いの吉田管長に尋ねたら分かるかも知れ…

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平成二十六年度 臘八坐禅会 四日目 所感

「息をする」と言います。 感じでは「自らの心」と書きます。 「いき」は古代大和言葉では「い」「き」ですが、「い」は英語で言えば "life"、「き」は "power" に該当すると言うことを聞いたことがあります。だから例えば「いのち」は"The power of life"ですし、「ちから」は"From power"。のような意味合いだそうです。 単に吸って吐いて、という意味の"b…

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