小林一茶を訪ねて

今日は柏での稽古の帰路、いつも素通りしていた流山市の江戸川沿いにある一茶双樹記念館に立ち寄りました。 江戸時代の1800年頃、この辺りには秋元三左衛門という醸造家がいました。この方はなんと、我々が料理でよく使っている調味料「みりん」を発明した方!なんです。もう少し北に上がると野田のキッコーマンがありますが、この辺りは色々な醸造が盛んだったようです。で、この秋元三左衛門さん、俳句にも大変熱心でそ…

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質量保存の法則に想うこと

質量保存の法則という化学の法則があります。それは「化学反応の前後で、それに関与する元素の種類と各々の物質量は変わらない」という法則です。何かが燃えて灰になっても、それは別の物質に変換したり結合したりしただけで、その質量そのものが煙のように消えてなくなるわけではありません。もう少し詳しく言うと、この宇宙の中で例えば銀河系の数百個程度がなくなったとしても宇宙全体の質量の総量は変わらず、単純に別の物質…

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何割?

昨日も「青天を衝け」を観ました。やはり幕末ものは面白いですね。 私は幕末維新が好きなのですが、調べたことが無い案件があります。 それは幕末維新の戦闘による戦死者のうち、何割が銃による死亡なのか、ということ。 逆に言えば何割ぐらいが刀や鎗によるものなのかという事です。 400年前に約1世紀続いた戦国時代が終わり、以後250年もの太平の世が続きました。 戦国時代は生き延びるのが必死だった武…

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忍耐は先ず一服の間とぞ知れ

私の武芸歴は35年にもなりますが、20代は海外留学や海外赴任、地方赴任などで合計7年近くは地元にいなかった計算になります。30歳からここ20年以上は幸いにコンスタントに継続してます。いや継続してました、というのが正しいでしょうか。 2020年3月頃から始まったコロナ禍のために8月頃まで師事していた道場の稽古は休止、せっかく9月から再開された稽古も年明けてしばらく休止、で、やっとまた先日から再開…

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桜色まで

昔小学校だったか、国語の教科書に載っていた話で興味深いものがありました。 それは桜色の着物についてです。 布をどのように桜で染めるのか、と言う話。 皆さんご存じでしょうか? 実はあれ、さくらの花びらで染めているわけではないのです。 花びらを煮てもきれいな桜色は出ないそうです。 では何で染めているかというとそれは「枝」。蕾がなった開花前の枝を煮て色を抽出するのだそうです。枝なので当然桜…

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前後の違い

私はあまりエゴサーチなどしない方ですが(幸いにして有名人でも何でもないのでほとんど引っかかりませんけど)、先日友人の一人からYouTubeに出てくると教えられました。ずいぶん前ですが一つ二つは見たことはありましたが結構あってビビった(笑) いや、私の名前では出てきません。私の師匠の名前ですが。実は私、あまり自分の動画は見ません。ハズいので。だから自撮りも滅多にしませんし。あれは自意識過剰になるの…

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無意識に意識を張り巡らせる

若い頃は基礎的な鍛錬に汗水垂らしました。もちろんそれは今でもしなければなりませんが(私はかなり怠惰で恐縮ですが)。 ただ初心の頃と違うのはその稽古の質をどこまで押し広げられるかというところです。初めの頃は・・・(イカン、昔過ぎて記憶が・・・(笑))兄弟子たちの動きを可能か限り正確にトレースして、自分なりに模倣して動く。それができて初めて自ら動くのですが、ある意味本当の修業はそこが起点ではないか…

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四季を感じる

今し方、庭の手入れをしてきました。 冬にかなり大規模に間伐をして、少々やりすぎてしまったかと思うぐらい庭の樹木を伐ったのですが、自然の回復力というものはやはり偉大で、モリモリと深緑を萌えさせています。 我が家には庭があります。で、庭の広さの割には樹木が多く、これはなかなか手入れが大変です。ただ両親が色々と考えて植えたもので、1年中、必ずどこかで花が咲いているように配置されています。 私は植…

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まだまだ先かな

一昨年末、武門において色々と大きな動き是在りで、久方ぶりに指南をしてみようと思い立ち、あれこれと準備をしていたのですが、昨年頭からコロナウイルスが世を賑わしてきて、ちょっと地域コミュニケーションのグループなどにお知らせをアップした頃にはコロナが蔓延してそれどころではなくなってしまいました。それからもう1年以上経ち、世はワクチン接種か感染拡大かと、まるで宇宙戦艦ヤマトの帰還か放射能汚染による絶滅か…

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武芸と禅

初めて禅というものに触れたのは2002年のGWの時でした。その前の週にNHK「小さな旅」で紹介されていた群馬県南牧村にある山奥の寺が大変素晴らしかったので、GWに早速行ってみました。かなりの山奥で本当にここで良いのかと思うほど細い道を進んでいくとその寺はありました。宗派は「黄檗宗」聞いたこともない宗派でしたが、禅宗の一つです。そこには住職もいました。私の父より一歳年下でしたが、僧侶と葬式以外で親…

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守破離で言えば離

源義家は平安後期、西暦で言えば1039年頃に現在の大阪辺りで生まれました。長じて東方方面の遠征を重ねて武勲を上げ、八幡太郎とか武神など、誉れ高い武人として知られています。この源義家が注目されている点は武芸を嗜んでいる人なら分かると思いますが、今まで貴族の犬として地方の荘園を守護していた武装集団、今で言うところのガードマンから現代で言うところの「武士」に変貌を遂げた時期でした。この源義家を以て武士…

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師との出逢いについて

前にも書きましたが、また書きます。 あなたには「師匠」がいますか? 私の持論ですが、「師匠」とは自ら何かしらの道を見出してそれに志さんと欲したとき、自然現れるものです。 そしてその師匠はあなたの志の高さに準じた人物以外は決して現れません。 強い決意と高い志を持った者には、それに見合った師と出逢います。 取り敢えず始めようと思う者には、やはりそれに見合った師と出逢います。 それ以外の師…

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千化万変

宇宙の話。 「宇宙戦艦ヤマト」で宇宙戦艦ヤマトは地球からイスカンダルまで長大な旅をして往復した。 しかし実はあれはかなり難しいミッションである。 何故なら・・・ 地球は自転している。 地球は公転している(太陽周囲)。 太陽系も回転しながら移動している(銀河系外縁方向)。 銀河系も回転しながら移動している(アンドロメダ星雲方向)。 もちろん、惑星イスカンダルも同じ条件で動いている。…

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銀河系

宇宙人はいるかいないかという話。 私は「いる」と思っている。確実に。 ただ、「宇宙戦艦ヤマト」みたいにどちらかがどちらかを侵略したり、「スタートレック」に出てくる惑星連邦のように百を超える知的生命体の連合体になることはないかも知れないと思っている。 理由はその広大な空間と長大な時間である。 人類が文明と呼べるような文明を持ってから5000年、仮にもし人類がもう5000年生き延びられたとし…

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古の音

私はよく、古の音に思いを馳せることがあります。 と言っても音楽とかではなく、日常生活で発生する普通の音、雑音の類です。 現代の社会生活からあらゆる機械音を差し引いたら江戸時代と同じ生活音になるかと言えば否です。多分全く違います。現代の私たちが使用している日常生活品、特に日本で流通している大半の製品は極めて高い耐久性と精度があります。 その上壊れるまで使う人は最近ではめっきり減って、流行…

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極める

最近、稽古に於いて想うところがある。 段階を踏んで稽古をせねばならないのは言うまでもないが、その人の資質を大成させる要素はこれではないかと思うものだ。 それは 「いち早く死ぬまでに到達すべき境地を理解し、明確にし、それに到達するための手段や理論を発見して取り掛かれるかどうか」である。 恐らくこれは段階を踏んでいく短期目標と較べると長期目標に該当するかも知れない。 これは老成してから…

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流水の如く

武芸と格闘技の優劣を論じるのは全く以て意味が無い。 それは例えば車の世界でF-1と乗用車、どちらが「いい車」かを論じているようなものであるからだ。 ちなみに流派の優劣も意味が無い。ホンダが良いかトヨタが良いかなど、人それぞれだからだ。 格闘技には「引退」がある。 武芸には「引退」はない。 逆に言えば「引退」の定義があればそれは「格闘技」でなければ「武芸」だと私は定義している。あくま…

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徒然と

今年に入ってからふとまた、指南をしようかと思いきや、コロナウイルスによって見事に中止に追い込まれてしまった。 のみならず今年は珍しく海外に3回ほど出掛ける予定だったが、それもまた中止になるなど、飛躍する年をことごとく打ち砕かれてしまった感あり。 ま、こんな災禍は一生に何度もないのでこれはこれで希少な体験というべきか。以前、10年以上前にも都内で指南していたことがあったが、なかなか場所が取れず…

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碧呟聲 -庵-

私の武号は不動庵 碧洲齋(ふどうあん へきしゅうさい)です。 時折武友から道場名を頼まれたりすると「庵」を付ける事も多い。 庵とは質素な小屋を指します。私の場合は不動明王がいる庵という意味です。 不動明王は私の生まれ本尊で、初めて禅の手ほどきを受けた寺の本尊でもあります。 基本、私は武門の末席を僅かに汚している一武芸者に過ぎません。 大きな道場も必要ないので庵を号してます。 武道…

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碧呟聲 -不立文字 教外別伝-

特に芸事に限った話しではありませんが、何か技術を伴ったことを継承する過程に於いて、私はなるべく「不立文字 教外別伝」を心掛けています。この「不立文字 教外別伝」とは禅仏教の言葉です。 文字通りのことですが、一応説明をすればこうなります。 不立文字 文字に頼らず、言葉から離れてひたすら修行することで悟りを直接体験するという意味。悟りの境地は文字や言葉では伝えれないものです。 教外別…

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あまたの中のたった一つ

私は今から34年前に16歳で当流に入門しました。 まあよく今まで続いているなと我ながら感心しきりですが、当然のことながら入門しては続かずに止めていく方も多くいたものです。実際、入門して残るのはごくごく僅かです。良き師、良き同門たちに恵まれないと継続するのは難しいでしょう。これは自分に合った流派を選ぶよりも難しい。もちろん他にも家庭環境や自分の労働環境、収入など、色々な要素があります。 私の体…

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碧呟聲 - 武運長久 -

私はよく、親しくなった海外同門、特に新たに昇段したり道場を開くという場合などは神社での祈祷を勧めている。私がお世話になっている神社は埼玉県川口市安行にある、峯ヶ岡八幡神社。関東平野の南部中央にあって、数少ない丘陵地帯の上に立っている。 近所には縄文時代の貝塚が発見されており、その当時の東京湾はまさに安行の丘陵地帯までが湾になっていた。恐らく縄文時代人は 峯ヶ岡八幡神社の辺りを漁の安全と豊漁…

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碧呟聲 - 山籠もり -

初めて山籠もりをしたのは入門して半年、思いがけず初段を頂いたときだと記憶している。 奥秩父で秩父鉄道の終点、三峰口駅から更にバスで西に向い、ダムまで。そこから古い吊り橋を渡って湖を渡り登山道もない山だったか。 初めての時はある意味肝試しだった。宿泊したのは2泊だったか、壊れかけた林業で使っていたと思われる小屋に泊まった。 枕元にはリスなどの小動物が来ていた。よく眠れなかったが、翌朝は最低限…

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碧呟聲 ー武術と美学ー

そもそも武道を志している者の中にはかなりの割合で所謂「中二病」患者がいる(笑) あるいは武道を志している者は程度に差こそあれ少なからず「中二病」患者と言えるかもしれない。 そうではないという方は老若男女、国内外を問わずあまりお目に掛ったことがない。 強いて言うと武芸をする女性の方がリアリストで中二病ではない気がする(笑) その中二病の中でも、なかなか品位があってある程度論理的、かつ敬…

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碧呟聲 -ゆき-

本日は関東南部で今冬初めて雪が降った。 あいにく積もるほどではなく、僅かな間に雪が降っている風景を愉しんだという程度。 それでも都心部では滅多に見られない雪景色だけに心躍るものこれあり。 雪の語源はご存じだろうか。 諸説あるが、有力なのは「神聖であること」「いみ清めること」を意味する「斎(ゆ)」に、「潔白(きよき)」の「き」。もしくは「潔斎(けっさい)」を意味する「潔斎(ゆきよし)」…

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碧呟聲 -胴着-

古流では凡そかなり暑い夏場でもキッチリ制式の胴着を着込んで、汗だくになって稽古をされているのを見ると本当にご苦労様ですと思うのだが、当流ではその辺りはかなり自由である。 伝統的な古流の方々からは「何と不届きな!」と一喝されそうではあるが(笑) もちろん道場や先生によっては真夏でも胴着というところもあるし、私の場合は指南するときは夏でも胴着である。自身の稽古で師匠の道場で稽古するときは多少…

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碧呟聲 -手裏剣-

忍者というと手裏剣と言うぐらい、忍者の武器というイメージが強い手裏剣だが、実際は武芸の裏芸としてたいていの流派でも伝承されていた。とはいえ例えば江戸時代などは普通に働いていた侍たちが必要とも思えず、打てる(手裏剣は「打つ」と言う)人は少なくなっていった。それは想像に難くない。ただ身体機能的に見れば現代人よりも江戸時代人の方が打てた人は圧倒的に多かったであろう。明治時代の頃の話しだが、大東流の始祖…

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碧呟聲 -良師逢見-

3年習うより3年良師を尋ねるべし 前にも同じタイトルで書いたのだが、本件は求道者にとっては至高の命題と想う故、再度取り上げる。 昨今、師と言っても色々な側面があるが、どれに関しても言えるのは「技術を教える以上の人」でなくてはならない、ということは間違いない。技術だけを教える人は所謂「インストラクター」である。そのちょっと上が「メンター」だろうか、その上に「マスター」がいるように思う。 …

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私の禅歴

私が初めて禅の手ほどきを受けたのは2002年のGW頃だったか。 群馬県の限界集落の山奥にある、黄檗宗の寺に行ったのが最初だった。 何故そこかというと、前の週にNHK小さな旅でそこが紹介されていたからだった。 それまでは葬式や法要以外で僧侶と話したことはなかったが、その時初めて禅僧と話し、禅の手ほどきを受けた。 以後足繁く坐禅や稽古のために訪れた。 本格的に禅哲学に傾倒したのは200…

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碧呟聲 -武と禅-

武芸と禅と言うと、結構な繋がりがあるようにイメージされる方が多いと思うが、実際のところ個人的にはそれ程関係があるとは思っていない。 同門の中にはただ坐っていることに意義を感じず、そんな無意味なことをするなら稽古をしていた方が有意義という人もいる。 実際問題として、禅はあくまで方法論のひとつ、考え方のひとつなので、無意味だと思ったら無意味、意義ありと思えば意義あり、その程度だと思っている。 …

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