碧呟聲 -庵-

私の武号は不動庵 碧洲齋(ふどうあん へきしゅうさい)です。 時折武友から道場名を頼まれたりすると「庵」を付ける事も多い。 庵とは質素な小屋を指します。私の場合は不動明王がいる庵という意味です。 不動明王は私の生まれ本尊で、初めて禅の手ほどきを受けた寺の本尊でもあります。 基本、私は武門の末席を僅かに汚している一武芸者に過ぎません。 大きな道場も必要ないので庵を号してます。 武道…

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碧呟聲 -不立文字 教外別伝-

特に芸事に限った話しではありませんが、何か技術を伴ったことを継承する過程に於いて、私はなるべく「不立文字 教外別伝」を心掛けています。この「不立文字 教外別伝」とは禅仏教の言葉です。 文字通りのことですが、一応説明をすればこうなります。 不立文字 文字に頼らず、言葉から離れてひたすら修行することで悟りを直接体験するという意味。悟りの境地は文字や言葉では伝えれないものです。 教外別…

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王道

原典は儒教である。 徳の高い君子が歩むべき道を指していると言われている。 面白いことに辞書には「安易な方法」「近道」も併記されている。こちらの原典は英語の「royal road」から来たらしい。あるときエジプト王の問いに対して数学者が答えた「Ther is no royal road to learning」(学問には王道なし)という言葉が由来だそうな。 これは私には意外だった。 …

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あまたの中のたった一つ

私は今から34年前に16歳で当流に入門しました。 まあよく今まで続いているなと我ながら感心しきりですが、当然のことながら入門しては続かずに止めていく方も多くいたものです。実際、入門して残るのはごくごく僅かです。良き師、良き同門たちに恵まれないと継続するのは難しいでしょう。これは自分に合った流派を選ぶよりも難しい。もちろん他にも家庭環境や自分の労働環境、収入など、色々な要素があります。 私の体…

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碧呟聲 - 武運長久 -

私はよく、親しくなった海外同門、特に新たに昇段したり道場を開くという場合などは神社での祈祷を勧めている。私がお世話になっている神社は埼玉県川口市安行にある、峯ヶ岡八幡神社。関東平野の南部中央にあって、数少ない丘陵地帯の上に立っている。 近所には縄文時代の貝塚が発見されており、その当時の東京湾はまさに安行の丘陵地帯までが湾になっていた。恐らく縄文時代人は 峯ヶ岡八幡神社の辺りを漁の安全と豊漁…

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碧呟聲 - 山籠もり -

初めて山籠もりをしたのは入門して半年、思いがけず初段を頂いたときだと記憶している。 奥秩父で秩父鉄道の終点、三峰口駅から更にバスで西に向い、ダムまで。そこから古い吊り橋を渡って湖を渡り登山道もない山だったか。 初めての時はある意味肝試しだった。宿泊したのは2泊だったか、壊れかけた林業で使っていたと思われる小屋に泊まった。 枕元にはリスなどの小動物が来ていた。よく眠れなかったが、翌朝は最低限…

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碧呟聲 ー武術と美学ー

そもそも武道を志している者の中にはかなりの割合で所謂「中二病」患者がいる(笑) あるいは武道を志している者は程度に差こそあれ少なからず「中二病」患者と言えるかもしれない。 そうではないという方は老若男女、国内外を問わずあまりお目に掛ったことがない。 強いて言うと武芸をする女性の方がリアリストで中二病ではない気がする(笑) その中二病の中でも、なかなか品位があってある程度論理的、かつ敬…

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碧呟聲 -ゆき-

本日は関東南部で今冬初めて雪が降った。 あいにく積もるほどではなく、僅かな間に雪が降っている風景を愉しんだという程度。 それでも都心部では滅多に見られない雪景色だけに心躍るものこれあり。 雪の語源はご存じだろうか。 諸説あるが、有力なのは「神聖であること」「いみ清めること」を意味する「斎(ゆ)」に、「潔白(きよき)」の「き」。もしくは「潔斎(けっさい)」を意味する「潔斎(ゆきよし)」…

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碧呟聲 -胴着-

古流では凡そかなり暑い夏場でもキッチリ制式の胴着を着込んで、汗だくになって稽古をされているのを見ると本当にご苦労様ですと思うのだが、当流ではその辺りはかなり自由である。 伝統的な古流の方々からは「何と不届きな!」と一喝されそうではあるが(笑) もちろん道場や先生によっては真夏でも胴着というところもあるし、私の場合は指南するときは夏でも胴着である。自身の稽古で師匠の道場で稽古するときは多少…

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碧呟聲 -手裏剣-

忍者というと手裏剣と言うぐらい、忍者の武器というイメージが強い手裏剣だが、実際は武芸の裏芸としてたいていの流派でも伝承されていた。とはいえ例えば江戸時代などは普通に働いていた侍たちが必要とも思えず、打てる(手裏剣は「打つ」と言う)人は少なくなっていった。それは想像に難くない。ただ身体機能的に見れば現代人よりも江戸時代人の方が打てた人は圧倒的に多かったであろう。明治時代の頃の話しだが、大東流の始祖…

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碧呟聲 -良師逢見-

3年習うより3年良師を尋ねるべし 前にも同じタイトルで書いたのだが、本件は求道者にとっては至高の命題と想う故、再度取り上げる。 昨今、師と言っても色々な側面があるが、どれに関しても言えるのは「技術を教える以上の人」でなくてはならない、ということは間違いない。技術だけを教える人は所謂「インストラクター」である。そのちょっと上が「メンター」だろうか、その上に「マスター」がいるように思う。 …

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碧呟聲 -武と禅-

武芸と禅と言うと、結構な繋がりがあるようにイメージされる方が多いと思うが、実際のところ個人的にはそれ程関係があるとは思っていない。 同門の中にはただ坐っていることに意義を感じず、そんな無意味なことをするなら稽古をしていた方が有意義という人もいる。 実際問題として、禅はあくまで方法論のひとつ、考え方のひとつなので、無意味だと思ったら無意味、意義ありと思えば意義あり、その程度だと思っている。 …

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碧呟聲 -兵法書-

兵法というと日本では武芸における個々の戦いの仕方に内容を占める事が多いが、中国ではほぼ戦術・戦略・調略・主君操作術などを指す。 「孫子」「呉子」「尉繚子」「三略」「六韜」「司馬法」「李衛公問対」の七書は「兵法七書」として名高く、日本の武士も愛読していた。 特に「孫子」と「呉子」については「孫呉の兵法」と言われ双璧を成すが、思想的にも好対照になっている。 「孫子」は主に道家的な指向性で「…

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碧呟聲 -強さの定義-

これは武芸者を悩ませる要素ではなかろうか。 武芸においては相手を倒す、完璧に我が身を守れる。 ひいては家族や関わる人を守れるかどうかではあるが、現代、特に飛躍的に安全性が高い日本においては映画やドラマのように悪人相手に対決などというシーンは一生に一度あるかないか。しかもあったとしてもほんのちょっとでも過度に痛めつけようものなら所属する流派や団体に大いに迷惑をかけてしまう。 武芸者の多くは中…

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碧呟聲 天地を味方に

今朝の東京近郊はある意味初めて冬らしい気温になった。もっともまだ氷は張ってないので言うほど寒くはないのだろう。仕事始めという事もあって気分が晴れているわけでもなし(笑) 夏と冬の稽古においてなかなか的を射ていると思う言葉がある。 「夏は気を練り冬は体を練る」 伝統芸能もしくは古武道の警句のはずだがネットで調べても出てこない。断りを入れておくが私の言葉ではない。 夏は言うまでもなく…

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碧呟聲 勝つと克つ

昔から戦時では「勝てば官軍負ければ賊軍」と言われる。賊軍ならまだマシな方で、全滅させられることもしばしば。かと思えば危うく全滅を免れた賊軍が何十年か後にリベンジを果たして逆襲に成功した話などは「臥薪嘗胆」にもある通り大変厳しい。 私如き未熟者がエラそうなことを言うまでもなく、「勝つと克つ」については多くの先達たちが色々書き残しているため今更言うことでもないと思うが、ふとした思い付きを呟くの…

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碧呟聲:武術事始め

原始時代から男という生き物は「強さ」に憧れてきた。そしてそれを競ってきた。それは生物学的雄として原始本能に基づく衝動でもある。 時代が下り、もしかした1万年とか5000年とか、そのくらいに人の意識が変わっていた。今までは生まれついて、或いは環境のお陰で力の強い者、早さのある者だけが優位に立っていたのだが、ほんのちょっと楽をして、あるいはショートカットをして強くなりたいと切実に願った怠け者が…

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碧呟聲

古代中国の夏王朝は最後、暗君と言われる傑王によって滅んだ。その次の殷王朝もやはり同じく暗君と言われた紂王によって滅んだ。 たまたまネットに上がっていた、幼少の頃に見た記憶がある昔のアニメ「海のトリトン」のイラストを見て思いだしたのだが、ムー帝国は人民と堕落ぶりに神が怒って大陸をごと沈めた。前後してアトランティス帝国も同じく人民の堕落ぶりに神が怒って大陸事沈めた。 ところで古代中国にはこん…

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謹賀新年

明けましておめでとうございます。 和暦では令和2年 皇紀では2680年 西暦では2020年 を迎えました。 昨年は皇室におかせられましては歴史的な譲位が行われ、200年以上なかった上皇上皇后という地位が再興されました。 そして日本は新帝陛下を戴き令和の時代になりました。 日本国民の心情としては心機一転ですが、経済的には貯め込んでいるところを吐き出させて一般庶民たちを潤わさな…

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師について

古来中国には「三鏡」という言葉があります。 ちょっとネットで調べたのですが出てきません。私の所蔵している中国古典の中に出てきていた言葉だったと記憶しています。今度探してみます。 うろ覚えですみませんが、その三つの鏡を以て我が身を正せというものです。「貞観政要」にも別の意味で「三鏡」という言葉が出てきます。 金の鏡は両親、銀の鏡は師匠、銅の鏡は友人です。 最近よくこれについて考えることがあ…

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稽古における型の役割

武芸における「型」は、ITに例えると圧縮したデータのようなものです。 先人たちが後世の継承者たちにできるだけ濃密にした情報を効率よく伝承させるため、型という固まりにして今に伝えています。つまり型の中においては普通の技よりも一挙手一投足全てがより多くの意味を為しています。 初心者では型を実戦に使うことは難しいかも知れませんが、上級者は実戦でも型を使いこなせるようにしたいものです。 稽古に…

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老いて尚曇らず

当流の春日部での稽古に、時折ふらっとやって来てじっとその様子をご覧になるご老人がいらっしゃいます。多分年の頃は80は優に超えているぐらいでしょうか。 実はこのご老人、以前当流の隣で稽古をしていた合気道養心館の先生です。 そしてこの驚くべきことにこの先生は養心館始祖、塩田剛三先生の数少ない現存している直弟子です。 そんなスゴイ方が当流の稽古をよく見にいらっしゃるので私の先生も同門も大変光栄に…

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重歳と我以外皆師也

年齢が上がってくるほどに構えて心すべきものと思うことがあります。 それは「教え慣れること」。門下で年齢が上がれば当然教わるよりも教えることの方が多くなるのは自然の理。若い頃は先輩方からあれやこれや言われてきたことがいつのまにかなくなって、自分が後輩に教える方が増えていきます。 当流の場合、段位のパッチなど着けていない限りはその人がどれ程の技量なのか分かりません。初老でも入門が遅かったり、若く…

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観察すること

昔は全ての芸事、技能職は「先輩から技を盗め」という覚え方でした。 手取り足取り教えてくれるような先輩はいませんでした。 先輩たちは高等技術は滅多に新入りには見せなかったですし、新入りは千載一遇のチャンスは石にかじりついてもものにしていた、そういう鎬を削るようなやり取りだったと想像します。 一歩譲って親切な先輩でも喜んで見せてもやはり手取り足取り教えるようなことはなかっただろうと想像します。…

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師弟

昨夜の柏中央体育館での稽古は珍しく参加者は私だけでした。 一昨日とその前は大相撲柏場所がようで、まだその後片付けで慌ただしい感じでした。市内にはいくつもの相撲部があるようで、中高生ぐらいでエラく体格がいい若者が荷物を持って出入りしていました。 普通は18時半頃から数人がボチボチやってくるのですが、昨夜は10分前になっても私だけで、着替えて柔道場に入ったところ、偶然にもいつも隣で稽古をしている…

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技の稟性

今年は武門に入って32年になりました。 とは申せ長いだけで未だ門下の末席を僅かに汚す程度の身分。上にも横にも、そして下にもそれはもう凄い人ばかりで、我が身の置き場に困るほどですが、ふと思ったことを徒然と。 あくまで私個人の感想として。 技を見るとその人の人となりがかなりよく分かるようになりました。 組んで稽古した場合は更に。 言葉を交わしてなくともその人の性格や資質、指向性などが分…

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名も無く 影無く 姿無し

去年の夏頃から、当流の日本国内道場では道場のHPは一切公開されておらず、ごく簡単な連絡先などを掲載している道場のサイトが僅かにあるだけです。 私個人としては元々あまり道場HPの手入れをしていなかったのでそのうち閉鎖するつもりでいたため、いい機会ぐらいにしか思っていませんでしたが。 ネットでは当流についての情報はさすがに多くありますが、本来入門の案内が掲載されている各道場のサイトが閉鎖され…

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自ら道を拓く

大上段に構えたタイトルになってしまいましたが、別に何と言うことではありません。 私が武神館の門下に入ったのは16歳の折。きっかけは書店にあった、たった1冊の本を本当に偶然に見つけたこと。そしてそこに至るまでイジメに遭ったり、友人らと格闘技のまねごとをしたりしましたし、きっかけの1冊を得てから宗家初見先生に手紙を書くまでも2.3ヶ月もあったように思います。 想いを致して偶然が重なり、熟…

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三人寄れば文殊の知恵

当流では毎年、宗家が漢字4文字で何らかのテーマを掲げることになっています。 今年は「文殊慈心」でした。 数年前から疑問に感じていた諺がありました。 それが「三人寄れば文殊の知恵」です。 「文殊」とは言わずと知れた智慧を司る菩薩。禅宗の僧堂の入口にも安置されていることがあります。 元々、この文殊菩薩が司っている「智慧」は、仏教で言うところの「悟り」を拓くための智慧を指していた…

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君の名は。のように

起きたときは鮮明に覚えていても、すぐにふと思い出せなくなる、夢は概してそんなものが多いものです。映画「君の名は。」のような、あんな感じだと思います。 私は2004年末から2009年頃まで約5年間、時々夢を記録していました。枕元にメモ帳を置いて、目覚めたら覚えていることを断片的に書いて、後でPCに入力する。内容はチグハグだったり矛盾しまくっていましたが、別段整理するでもなく入力。 何度…

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