師について

古来中国には「三鏡」という言葉があります。 ちょっとネットで調べたのですが出てきません。私の所蔵している中国古典の中に出てきていた言葉だったと記憶しています。今度探してみます。 うろ覚えですみませんが、その三つの鏡を以て我が身を正せというものです。「貞観政要」にも別の意味で「三鏡」という言葉が出てきます。 金の鏡は両親、銀の鏡は師匠、銅の鏡は友人です。 最近よくこれについて考えることがあ…

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稽古における型の役割

武芸における「型」は、ITに例えると圧縮したデータのようなものです。 先人たちが後世の継承者たちにできるだけ濃密にした情報を効率よく伝承させるため、型という固まりにして今に伝えています。つまり型の中においては普通の技よりも一挙手一投足全てがより多くの意味を為しています。 初心者では型を実戦に使うことは難しいかも知れませんが、上級者は実戦でも型を使いこなせるようにしたいものです。 稽古に…

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老いて尚曇らず

当流の春日部での稽古に、時折ふらっとやって来てじっとその様子をご覧になるご老人がいらっしゃいます。多分年の頃は80は優に超えているぐらいでしょうか。 実はこのご老人、以前当流の隣で稽古をしていた合気道養心館の先生です。 そしてこの驚くべきことにこの先生は養心館始祖、塩田剛三先生の数少ない現存している直弟子です。 そんなスゴイ方が当流の稽古をよく見にいらっしゃるので私の先生も同門も大変光栄に…

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重歳と我以外皆師也

年齢が上がってくるほどに構えて心すべきものと思うことがあります。 それは「教え慣れること」。門下で年齢が上がれば当然教わるよりも教えることの方が多くなるのは自然の理。若い頃は先輩方からあれやこれや言われてきたことがいつのまにかなくなって、自分が後輩に教える方が増えていきます。 当流の場合、段位のパッチなど着けていない限りはその人がどれ程の技量なのか分かりません。初老でも入門が遅かったり、若く…

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観察すること

昔は全ての芸事、技能職は「先輩から技を盗め」という覚え方でした。 手取り足取り教えてくれるような先輩はいませんでした。 先輩たちは高等技術は滅多に新入りには見せなかったですし、新入りは千載一遇のチャンスは石にかじりついてもものにしていた、そういう鎬を削るようなやり取りだったと想像します。 一歩譲って親切な先輩でも喜んで見せてもやはり手取り足取り教えるようなことはなかっただろうと想像します。…

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師弟

昨夜の柏中央体育館での稽古は珍しく参加者は私だけでした。 一昨日とその前は大相撲柏場所がようで、まだその後片付けで慌ただしい感じでした。市内にはいくつもの相撲部があるようで、中高生ぐらいでエラく体格がいい若者が荷物を持って出入りしていました。 普通は18時半頃から数人がボチボチやってくるのですが、昨夜は10分前になっても私だけで、着替えて柔道場に入ったところ、偶然にもいつも隣で稽古をしている…

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技の稟性

今年は武門に入って32年になりました。 とは申せ長いだけで未だ門下の末席を僅かに汚す程度の身分。上にも横にも、そして下にもそれはもう凄い人ばかりで、我が身の置き場に困るほどですが、ふと思ったことを徒然と。 あくまで私個人の感想として。 技を見るとその人の人となりがかなりよく分かるようになりました。 組んで稽古した場合は更に。 言葉を交わしてなくともその人の性格や資質、指向性などが分…

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名も無く 影無く 姿無し

去年の夏頃から、当流の日本国内道場では道場のHPは一切公開されておらず、ごく簡単な連絡先などを掲載している道場のサイトが僅かにあるだけです。 私個人としては元々あまり道場HPの手入れをしていなかったのでそのうち閉鎖するつもりでいたため、いい機会ぐらいにしか思っていませんでしたが。 ネットでは当流についての情報はさすがに多くありますが、本来入門の案内が掲載されている各道場のサイトが閉鎖され…

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自ら道を拓く

大上段に構えたタイトルになってしまいましたが、別に何と言うことではありません。 私が武神館の門下に入ったのは16歳の折。きっかけは書店にあった、たった1冊の本を本当に偶然に見つけたこと。そしてそこに至るまでイジメに遭ったり、友人らと格闘技のまねごとをしたりしましたし、きっかけの1冊を得てから宗家初見先生に手紙を書くまでも2.3ヶ月もあったように思います。 想いを致して偶然が重なり、熟…

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三人寄れば文殊の知恵

当流では毎年、宗家が漢字4文字で何らかのテーマを掲げることになっています。 今年は「文殊慈心」でした。 数年前から疑問に感じていた諺がありました。 それが「三人寄れば文殊の知恵」です。 「文殊」とは言わずと知れた智慧を司る菩薩。禅宗の僧堂の入口にも安置されていることがあります。 元々、この文殊菩薩が司っている「智慧」は、仏教で言うところの「悟り」を拓くための智慧を指していた…

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君の名は。のように

起きたときは鮮明に覚えていても、すぐにふと思い出せなくなる、夢は概してそんなものが多いものです。映画「君の名は。」のような、あんな感じだと思います。 私は2004年末から2009年頃まで約5年間、時々夢を記録していました。枕元にメモ帳を置いて、目覚めたら覚えていることを断片的に書いて、後でPCに入力する。内容はチグハグだったり矛盾しまくっていましたが、別段整理するでもなく入力。 何度…

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大疑団という考え

大疑団というのはよく禅にて用いられる言葉ですが、「疑団」であれば一般的な単語だったかと思います。 字面通りで別段深遠なことではありません。「疑いの塊」です。 一応武芸者なので武芸を例に挙げます。 一つの技をマスターしたとき、大抵は二つのパターンに分けられます。 ひとつは「よし俺はこの技を理解したぞ」という者。努力の末に得たものに対して絶対に自信を持ちます。 もう一つは「この技を…

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武者修行

武芸者であれば憧れるものではあるが、現代で定職に就いているとこれなかなか難しく。 私の場合は入門時から留学に行っている間が武者修行期間だったかも知れない。 当流に入門した前後。高校時代は仲の良い格闘技仲間とよくスパーリングをしていた。 今だったら多分秒殺レベルの拙いお遊びだったが、いい下地を作ったと思う。 高校の柔道もなかなかに良かった。中学の時からなんとはなしに強かったが、入門してから…

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継続は力なり

入門者の成長パターンは概して3つほどあるように思います。 一つはなだらかな上り坂型。大半はこれでしょうか。 一つは階段型。私はこれに入ります。 一つは急上昇型。 その中で一番多く辞めていくタイプが3つ目の急上昇型。ある程度のところまで行くと、それ以後、全く停滞して驚くほど成長しない。いえ、これで留まることを知らず成長する人がいわゆる天才なのでしょうが、3番目に限っては今まで会った方は…

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初心忘るべからず

今朝、たまたま手にした円覚寺管長横田南嶺老師の本にいいことが書かれていました。ちょっと抜粋します。 修行といいますと、はじめ何も分からない修行僧がだんだん修行を重ねて偉くなっていって、先輩の雲水になり、役位という僧堂の運営に携わる立場になり、やがて和尚さんになってゆくと、修行が進んでゆくように思われます。和尚さんの中でも更に進めば老師さまや管長になってゆくよ思われるかも知れません。私も初め…

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精進する

昨夜の稽古は久し振りの大人数で20人近くはいたでしょうか。 フィンランド、チリ、ドイツ、アメリカからでしたが、なかでもチリは10人近くいました。 飛行機で30時間かけて来日しました。 チリは南米でもまずまずの優等生で、経済的にも政治的にもなかなか安定しているのですがそれでも日本にやってきて稽古をするというのはなかなか大変なことです。彼らの志たるや大変天晴れなものだと感心せずにはいられま…

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到らぬ想い

禅宗では僧侶として資格を得るためには僧堂で数年、修行をしなければなりません。 年に2回の修行期間があり、その中で更に1週間単位で何度か集中して坐禅をする期間があります。それを「接心」と呼んでいます。 いくつかある接心の中でも「修行僧命取りの接心」として一番知られているのが「臘八大接心(ろうはつおおぜっしん)です。これは12月1日から8日明け方まで行われますが、これはその昔、お釈迦様が菩提樹の…

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山吹の少女

昨日は所用があって新宿に行きましたが、結構時間があったため、以前から行ってみたかった場所に行きました。 場所は都営大江戸線東新宿駅A3出口を出てすぐ。 天台宗大聖院というお寺です。 そこにはひとりの女性の墓所があります。 太田道灌は室町時代後期、築城と短歌の才に長けながら謀殺された悲劇の武将として良く知られていますが、彼がまだその才能を発揮する前のこと。 ある日道灌は所用の…

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いささか思うところ是在り

この世の中に完全無欠の先生はいません。 先生の技や精神を完全無欠に受け継げる弟子もいません。 いたとしてもそれは「全然意味がありません」。 流儀を完全コピーする、それなら今やIT機器の方が遥かに高精度、多角的だからです。 現実にはそれぞれ不完全な部分を補完し合うべき組織や流儀の弟子たちがいるだけです。 故にこの調和が見える人だけが「よく見えている」と言えます。 道と呼ばれる芸事は…

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古い胴着を着る

一昨日、11年使っていた3代目胴着が破れ、急遽2代目胴着を引っ張り出して着用しました。 実はたまたま先月、初代と2代目胴着を久し振りに押入から出して洗濯機にかけたばかり。偶然なのかどうか。初代は少し小さく、何度も補修したので使えるかどうか微妙なのですが、2代目は3つの中で一番高価な胴着だけあってまだまだ使用に耐えられます。 ここ10年ぐらいの黒い胴衣は染め方の技法が進歩したのか何度洗濯し…

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胴着より察す

胴着は基本、約10年に1回新調しています。 色々理由があります。 補修しても綻んでくるため。 色あせがひどくなるため。 気分を一新するため。 色々です。 当流の胴着は黒のため、昔は洗うと色あせしました。 数年使ったら白灰色っぽくなってしまいました。 最近のはほとんど色あせしないので大変助かっています。 現在愛用している胴着は薄手です。センチ以下の感覚を養おうという場合は…

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多分こんな感じではなかったか・・・(笑)

時代劇に出てきたニンジャの中で一番「これだ」と思ったのは水戸黄門の「風車の弥七」。理由は武器はほとんど匕首で、寡黙でスカした台詞をいちいち吐かず、おバカなニンジャ装束を着ないという点。しかもレギュラーキャラでありながらいつも別行動(笑) 忍術も最小限しか使いませんし、使うときもさりげなく使っています。私的にはかなりリアリティを感じます。他のは全然ダメです。 「風車の弥七」は完全フィクション…

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本日の稽古にて

本日の稽古はなかなか違ったテイストだったのでちと書き記したく。 20-30年前の当流には軍人警察官という類の門下生が多く、それはもうパワー炸裂の体術でした。 力任せが「悪」であると認識し始められてきたのはここ15-20年ぐらいでしょうか。 ・・・という前振りで、本日は久々にパワーユーザーと稽古しました(笑) 何か懐かしくなるような感じの力業の持ち主でした。 ま、これで根性まで悪かったら…

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心を伝える

昨今、私が所属する流派は色々テレビなどで取り上げられていて、良くも悪くも良く知られた流派になっています。私が入門したときからちょくちょく紹介はされていましたが、ここ数年は一層拍車が掛かった感ありです。 他流と比べてかなり目立つ特徴として(ま、それでよくメディアに出るわけですが)忍術を継承しているということと、外国人門下生が大変多いという事。この二点でしょうか。もう少し専門的な雑誌で…

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三十一年目

今から31年前の今日、私は当流に入門致しました。 爾来緩急あるも唯精進して参りました。 到らぬ修行は長くもあり短くもあり。 未だ門下末席を僅かに汚す程度のように感じます。 正師逢見は将に天命に似たり。 31年間も師事ができることは天恵と思わねばなりません。 毎朝仏壇に手を合わせているのはこれが為の感謝です。 のみならず森羅万象に感謝を想うようになりました。 現在、武禅にお…

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断食明け

3日間の断食明け。 今朝の粥座がありがたくも楽しみだったこと。 3日ほどの断食であれば身体には大きな負担もなく精神修養にも内観にも適しています。 食を断つ間、多くの事に気付かされ、我が身を誡めること再びです。 その色々な気付きと食を頂けることに深く感謝をしたいと思います。 平成二十九年如月二十日 不動庵 碧洲齋

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七五三

七五三、と言うと子供のお祝いを連想しますが、今朝たまたま息子の学校の連絡通知を見ていたらなかなかいいものを見つけました。 校内カウンセリングのお知らせでしたが、その中で「意思疎通は対面で7割、電話で5割、メールやLINEで3割」と言っていたところ。これは割に知られていることだとか書かれていましたが、私には初見でした。 なるほどこの割合には納得させられるものがあります。それにしても対面…

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温故知新と稽古

温故知新とは言わずと知れた論語の言葉。 「故きを温ねて新しきを知る」もしくは「故きを温めて新しきを知る」と読まれる。 稽古は「古にならう」から来ている。順序で言えば稽古があって、温故知新なのだろうか。 昔の人がどんなことを考えていたのか、どんな見方をしていたのか、書を読み、技を練ることでおぼろげながらにも分かることがある。それを意図していなくとも突然分かることもしばしば。頭と身体、共に…

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武道事始め

今日は息子が初めて学校の授業で柔道をやるそうです。 昨日柔道着を洗って干しましたが、今朝は大きさを確認し、着方を軽く教えました。 息子は時々私に付いて道場に来て受身や稽古などに参加したことがあるので全くの素人ではありませんが、体育の先生はバスケ部の顧問らしいので、柔道の専門家ではないため、くれぐれも怪我には注意するように言っておきました。 息子が今在学中の中学校は私の卒業した中学ですが…

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重く扱う 味ひをしれ

昨日のブログには見る側の心得として長々とつまらぬ事を書いてしまいましたが、今日はその逆、見られる側の心得をちょっと書いてみたいと思います。 その人の立居振舞というのはある意味一生モノで、大人になってからは早々たやすくは直りません。これはもう重々良く知られていることです。 そうは言っても大人になってから習い事もするでしょうし、特に伝統芸能などは現代においては大人になってからする事が多いので…

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