すなわち戦わざれば

すなわち戦わざれば亡国必至、
戦うもまた亡国を免れぬとすれば、
戦わずして亡国にゆだねるは
身も心も民族永遠の亡国であるが、
戦って護国の精神に徹するならば、
たとい戦い勝たずとも
祖国護持の精神がのこり、
われらの子孫は必ず再起三起するであろう。

これだけ読んでその高揚な精神に感動する人がいたら、きっとそれは安易に戦争OKタイプの人でしょうな。これだけだったら相当無責任な言葉に感じます。言う人が言うから重みがあるというもの。
これは73年前の1941年の今日、御前会議のときに、永野修身海軍軍令部総長が昭和天皇の求めに応じて発言した言葉です。
この永野さん、実は千葉大学の創設者で、米国に留学経験があり教育に大変力を入れていました。もちろん先の大戦では海戦否定派でもありました。
戦歴を見るに技術方面で優れていたようです。そういう技術屋が精神がどうのと言わねばならぬ所まで差し迫っていた状況だと、知って欲しいところでしょうか。
「たとえ勝たずとも」などと本来軍人は言ってはいけませんし、精神とか子孫に何か勝手に委託してはいけませんし、実際何百万人が犠牲になりました。
とはいえ再三再四、またもや大国から恐喝されて、どうにもならぬ状況下で技術屋、教育家軍人が言った言葉として考えると、かなり深刻です。
上記の言葉は軍人と言うよりは教育者らしい言葉ではあります。

遠くはモンゴル、近世では清国、先だってはロシアと、いずれも世界に名だたる大国と極東の小国がイヤイヤ勝負して辛勝していますが、もしかしたら永野さんはさすがに今度ばかりは、と思ったかも知れません。実際に留学して米国をよく見てきていますから。それにしても日本はテレビアニメのようにしょっちゅう、世界的な大国からイビられ、しかも結構な割合で勝ってますから、優秀には違いないのでしょう。多分。
軍事科学の世界では寡を以て多を撃つなどというのは邪道中の邪道です。逆に定石通り相手の2倍3倍の戦力を投入して、機能的、効率的に動かせれば戦争の天才とか言う人も要りません。戦争というのは実際はそのくらい恐ろしく事務的に行われることが多いのです。ものすごい試作兵器や秘密兵器、天才の考えた作戦というのは99%は物語の世界です。

個人的には大変ひいきにしている東郷平八郎元帥の明治天皇とのやり取りが好きです。
明治天皇「東郷。ロシアの増援艦隊が来るというが、見込みはあるのか」
東郷提督「バルチック艦隊が来ましたならば、誓ってこれを撃滅し、宸襟を安んじ奉ります」
日頃かなり寡黙な東郷提督がこう言って、周囲が慌てたとか。それでも世界近代史上最もパーフェクトな勝利をした人ならではの言葉です。本当に勝つ人はこのくらいシンプルでもいいんですね。

一武芸者としてはやはり東郷元帥の如くシンプルでありたいと思います。

平成二十六年長月六日
不動庵 碧洲齋