覚悟がいる

2月11日から百田尚樹山の作品「永遠の0」のテレビ版が3夜にわたって放送されました。
映画よりも長い時間放送されるのだからもっと小説の内容を掘り下げられるかと思ったのですが、個人的には映画の方にやや軍配を上げたいところです。部分的にはテレビ版の方が良かったと思う部分もありました。
発言などで色々物議を醸している百田尚樹山さんですが、この作品に関してはなかなか素晴らしいと感じます。

それにしても主人公が抗命スレスレになるまで特攻に反対してたり、当時の武風を好む軍人とは全く逆の信条を持っていて、スクリーンでもそのように明言していたにも拘わらず、どういうわけか戦争賛美とか特攻賛美とか評している向きもあり、見ないで評しているのか、作品ではなくて作者を見て評しているのか、人の主観の恐ろしさを感じたものです。

私的には何でもかんでも右とか左でものを見るような人間には嫌悪感を抱きますが、同じようにどうかと思うのは日本や他国、組織何でもいいのですが、右もダメなら左もダメ、上も下も前も後ろもイカン、という無責任な論評をする人。今の与党がいいとはとても思えませんが、批評だけして十分納得のできるような対案が出せない野党も何の為の野党だと言いたいぐらい。揚げ足を取るのに精一杯の感を受けます。与党には明確なビジョンが見えないし国民を騙しているだろうとさえ思える反面、野党のはアニメか映画のような理想世界ばかりを謳って全く現実味がない。できることを言って下さい。
(とはいえ昨日たまたま見た日曜討論会では、自民党の稲田朋美政調会長の発言を見るに、野党の出演者よりも頭悪いんじゃないかと思ったくらい。あれではゼンゼンいかんです。弁護士出身だとお聞きましたが)

こういう人たちに共通しているのは多分「覚悟がない」こと。八方美人であろうとしているのか、完全無比な政策や指針を目指そうとしているから。人間でもそんなのは滅多にいないのに国家であれば尚更。あれもこれもダメと言うだけの人には覚悟がない。そう思います。

喩えて言えば今の与党は安酒で酔っ払ったオッサンドライバー。野党はペーパードライバーか教習中の人。ヨッパライは運転してはいけませんし、これは免許保有者でなくとも批判はできますが、いざ運転するとなるとペーパーでは怖いですし、教習中の人は運転できません。日本の政治はこんな感じだと捉えています。
例えばアメリカでは民主党も共和党もベテランドライバーです。どちらが与党になってもしのぎを削るぐらい良き競合者です。イギリスも概ね同じではないでしょうか。
運転をちゃんとできればこその鋭い批判の応酬ですから、政治家たちが政党ぐるみでビシバシ鍛え抜かれるのは言うまでもありません。

先の大戦では覚悟ばかりか準備までなかった。日清日露戦争とは大違いです。しかも軍人の精神が明治に比べて退化しているというのもいたたまれない。明治の軍人たちはもっと科学的であったし国際政治にも精通していた。兵士を飢え死にさせるようなバカなことはなかったし、国際的に孤立をするような愚かな状況も作らなかった。知性の退化が軍人だけでなく、市民まで及んでいるとしたら恐ろしいことです。
多少の誤解を恐れずに言えば、覚悟を持つとは国でも人でも「悪人」になることを恐れてはいけないと言うこと。正しいと思ったら突き進めと言うことではありません。手段を選ばずという意味でもありません。なかなか難しいところですが。

国家を運営する政治家や軍を指揮する軍部に覚悟がなくても、下命された側の庶民に覚悟がある場合。これが一番いたたまれない。先の大戦は多分これだと思います。日本国民が従順なことは滅多に暴動が起きないことや犯罪が少ないことから、これは世界に比してそう言えると思います。(逆に言えば一旦キレたら怖いのでしょうけど)国家レベルで政治家や軍部に命を投じるぐらいの覚悟があれば(気持ちだけではダメですが)日本に関して言えば絶体絶命の場合でも切り拓くこともありましたが、個人レベルで覚悟があっても多分、戦場ではせいぜい美談を残す程度です。残念ですが。
この個人の美談を以て国家の方針がどうのと言うのは間違っている、と思うのです。戦場での美談を以て旧日本帝国軍は実は規律正しいよい人ばかりだったなどという方向や、だから実は米英の策略こそが先の大戦の原因だなどと錯覚しては意味がない。

例えば、あくまでも例えばですが、特攻が戦略的に大変効果があって、戦局の一部でも挽回して停戦交渉に有利に働くという目算が付くなら、冷酷ですが軍人パイロットの多くに死んで頂くことも辞さない、という冷徹な政治家がいても然りですが、もちろん現実にはそんなことはなく、政治的には無策、戦略的にはもちろんのこと、局地的な戦術レベルで見ても全く希望的観測、もしくは稚拙な算段で作戦を発動させていたことに後世の国民として怒りを覚えます。そもそもよほどのことがない限りは相手に数段優れた軍備などありません。秘密の試作機がトンでもない強い武器だったこともありませんし、ましてや秘密兵器を保持した一部隊が戦局を打開したこともありません。そういうのはアニメ化ドラマで起るだけです。現実には互いに大抵予想しうるレベルの有限の人的物質的資産を如何に効率的に投入して相手と駆け引きするか、人類数千年の歴史では常にそうでした。

特攻は非常識な作戦だという事はできます。特に近代以降の軍事作戦では類を見ないほど。
私は賞賛も肯定もしません。ただ、これを立案した人たちに怒りは覚えます。
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一方で私たち日本人はある意味戦前の特殊の状況も知っておく必要はあります。
戦前、有色人種で工業力を有していた国は日本だけです。
工業力を有していた非基督教徒でした。
そして眠っていた龍と見なされていた中国のみならず、ソビエト成立まで強大国と見なされていたロシアも鮮やかに叩きのめしました。
日本は日本で列強諸国の仲間入りを自任していたのでしょうが、もちろん違います。
列強諸国は白人で基督教徒だけのものでした。
故に列強からしたら我慢の限度を超える不気味な国。汚らわしい国として映ったと思います。
今でもアメリカには根強い人種差別があります。テレビでアメリカの警察当局がコメントしていたのを観た人もいると思います。錦織圭選手とチャンコーチが受けた差別など、未だに有色人種は白人のチャレンジャー、アンダードッグレベルと見なされることしばしば。有色人種への差別がなくなったのは戦後、ごく最近の話しです。
やむを得ない理由で戦争を始めてしまいましたが、その前の戦争のようにけじめを付ける算段も勝つ算段も十分していなかったので、負けたときの恐怖が先走ったのだと想像します。強い自任があったことはそうだとしても、とりあえず世界で唯一の有色人種で工業力を持ち、しかも白人文明に反旗を翻していました。しくじった場合の恐怖は多分それなりにあったと思います。特に海外を見たことがある人たちは。
だから何が何でも勝たねばならないとか、少しでも敵を漸減させねばとかいう思いに駆られて狂気の作戦を始め、しかもダラダラと止められなくなったのだと思います。もちろん、だからといって始めた人たちに同情は覚えませんけど。
そんな状況に日本古来の伝統や文化が化学反応を起こしたのが、特攻作戦だと思っています。
何とも不幸の偶然が多く重なってしまった先の大戦だと思います。

東京大空襲や2発の原子爆弾は普通にカテゴライズしたら大虐殺です。戦後の守れもしない憲法を作り上げたり、戦犯意識を強く刷り込ませるような教育を残していったことを思えば、白人たちが私たち日本人をどのように考えていたのか分かろうというものです。今ではかなり彼らの見方も変わったとは思いたいのはやまやまですが、私が感じた限りではまだまだ。豪州の小学校で日本語を教えていた時も、小学校高学年の子供の7割ぐらいは欧米の白人社会が中心にあって、その周囲を有色人種が取り巻いているような世界観を持っていると知ったときはショックでした。
多分ないと思いますが、どうしても戦争が始まってしまうとしても先の大戦のようなあまり名誉でない結果にはしたくないものです。

戦後の私たちからすれば、軍人や政治家が最大限度うまく事を運んだとしても、せいぜい日本が経済的に少々手痛い条件で引き下がらねばならなかったと思います。(開戦が間違っていたという意味ではありません、開戦したしないに関わらず、という意味で、念のため。)
私は架空戦記にはやや警戒気味なので(おもしろいですけど)、タラ、レバ、カモは好きではありませんが、ボコボコに負けて今があるという事実はあります。負けなかったことはないとして、戦わなかったらどうなっていたのか。今のような発展はあったのか。面白い推論ですが、日本だったらどちらでもうまくやったような気がします。

私の母方の祖父も海軍輸送船団の乗組員としてサイパン島増援部隊輸送中に潜水艦に撃沈されて輸送船と共に沈んでしまいましたが、そういう貴い犠牲在っての今の私、息子です。
戦争が始まる理由は政治的なものかもしれませんが、歴史が少し好きな自分からすれば戦争が始まるのは大抵、「庶民がまた血を欲したとき、生け贄を欲したとき」です。日本の国家元首である当時の昭和天皇はもちろん戦争は欲しませんでした。多分多くの庶民もそうだったと思います。ただ、軍人や政治家、庶民の中にそれを欲しがった人が多くなってきたから始まったと言えます。もちろんこれは日本だけではなく対戦国でもそうです。永遠の0でも言ってましたが、そういうのを扇動するのは大抵はマスコミです。今やインターネットで能動的に情報を得られる時代ですが、そうなると日本語だけではなく、外国語もある程度なじんでおく必要はある。どうも日本人のネット市民にはこれが欠けている人が割に多いような気がします。私はこれを恐れています。

あまり声高に語らぬ、それでいてものすごい品質の製品を海外に送り出している日本人。大方おとなしく礼儀正しいが、あまり主張しない日本人。ありがたいと思われている反面、やはり、それ故に西洋人には「得体の知れない、強大な力を持つ有色人種」とみられています。これは直接、数人の仲の良い海外同門から聞いたことです。私は巧言令色少なし仁だと思っています。流麗にスピーチする西洋人を見ると時折虫ずが走ります(これが日本人でもそうですが)。時にはそれがコミュニケーションに必要であっても、それを柱にするようでは日本文化が廃れます。黙して世界にベストなものを供給する、時間がかかっても日本の誠意が分かってくれればと思ってはいますが・・・。

私が日々心掛けているのは日本人のものの考え方の一端のヒントを、海外の友人たちに知らせること。日本が好きで武道をしている人たちです。すぐに飲み込んでくれます。日本人のものの考え方を通じて、それを応用して、僅かながらでも世界に良い影響を与えたいと思っています。


平成二十七年如月十六日
不動庵 碧洲齋