「あの日、僕らは戦場で」を観た

録画していた、 NHKスペシャル アニメドキュメント「あの日、僕らは戦場で~少年兵の告白」を息子と観ました。
なかなか良くできた番組のように思います。個人的には何故アニメなのかと思いましたが、実際に見て見ると少年たちが演じるよりは良かったかと思います。デフォルメすることで戦争の悲惨さを強調したかったのでしょうか。

観る前に息子がぽろっと言いました。
「これはNHKだよ。テレ朝じゃないよ」
小学校6年生が言うにしては問題です。私はテレ朝も朝日新聞も好きではありませんが、そういう色眼鏡でより分けたりしてないつもりです。(ま、朝日新聞はちょっとひどすぎですが)そもそもテレ朝がひどいというなら東映アニメもドラえもんも観るなって事になってしまいます。全く大人の馬鹿げたリクツが子供に浸透する弊害は大きい。

私は日頃から右左でものを観る世界観は自分を愚かにするだけだと言っていますし、無知蒙昧蒙昧で寛容のない愛国主義や国家主義は大嫌いであることはいつも息子に言っているのですが、左右の言質など無視して、逆にもっとグローバルなものの見方を説くべきでした。大いに反省。

ただサイパンで息子たちがお世話になった韓国人たちの話しや私が留学や豪州赴任中に交流を持った韓国人、今仕事でやりとりのある中国人社員の方々の話など、限りなくバランスよく話してはいるつもりです。特定の国だけに憎しみだけを植え付けるという行為には、ゾッとさせられるものがあります。
現代の軍艦における、高度に発達したCIC(戦闘指揮所)では戦闘状況がゲームのように進行します。そこには硝煙の匂いも血の臭いも阿鼻叫喚も恐怖もありません。ネットも同じで、今特定国に口汚く罵ったり怒りや憎しみをぶつけて気晴らしをしているような連中の多くは多分、直接じっくりと膝を交えて話したことがある人はごく僅かなように思います。

よくアニメ番組では少年少女たちがカッコイイメカに乗って、戦況が劣勢であっても胸のすくような活躍で敵をバタバタ倒していきますが、現実の戦いではこの番組のように10代の子供などにとっては悲惨すぎる状況です。
負けそうな国というのは文字通り必死です。奇天烈兵器や奇想天外作戦がエエ歳した頭の良いはずの士官さまたちによって真剣に練られていますが、大抵は失敗しますし、現代においては劣勢な戦局を奇天烈兵器が挽回した例はありません。ガンダムはあくまでアニメです。国家間の戦争に於いて、1点もののスーパー兵器や数点ものの秘密戦隊如きでは戦局は全く変わらず、どうにもならないのが現代戦争です。先の大戦では科学力に関しては他を一頭抜きん出ていたナチスドイツですら、物量作戦の前には完敗でした。アメリカのように普通の兵器を大量に製造して、むらなく潤滑に戦地に送り出し、それらを効率よく運用するという、実につまらない事務作業が戦争における大半の作業です。底からはみ出ている場合は多分、劣勢だと言う事です。日本などは70年も戦争がないので余計、戦争にドラマを求めがちのように思います。

劣勢な側に美談が多くてそれに酔いしれる人が多いように思いますが、私が実際に幾つかの国の将兵に戦争の話を聞いた限りは事務仕事、ルーティンワークが8割以上でした。
今時の戦争は火ぶたを切る前の準備が8割とか、そんなものです。一発逆転の大勝負はありません。
そもそも戦争における美談などは発生しない方がよほど平和なのです。
起きてしまったことを淡々と既述するのか、どのように書き添えるのか、そこが後世の人の腕の見せ所ですが、つまるところどう書いても完全なものはなく。

沖縄は地理的に大変不幸です。これは仕方ありません。恨むなら神様を恨んで下さいとしか言えません。日本政府言いたい文句はたくさんあると思いますが、それならゴリゴリに軍拡を進める中国政府に文句を言った方がいいのではないかと思います。中国が平和路線にするなら、必然的に沖縄の軍事基地の必要性は下がります。沖縄の軍事基地化は別段日本政府が悪いわけではないのですが、なぜか矛先が内向き。日本人はストレスがたまると他人を殺すよりも自殺したり身内を殺すことが多いそうです。

ともあれ戦争に子供を使うという時点で負けています。
それは例え勝ったとしても正しくありません。
(そういう理由で女性がフロントライン・戦線に立つことも賛成ではありません)
ISなどでも少年兵を使っています。子供は純真ですから、自ら求めてきたとしても、大人は子供に武器を握らせないようにするのが使命かと思います。

番組では中野学校の士官たちがメチャクチャ悪者扱いになってましたが(苦笑)、中野学校の士官たちが「いい人」だったら、そもそも戦争ができませんから。小野田寛郎さんが生きていたら何と言うやら。特殊任務の軍人はどの国も概ね同じであることを忘れないで欲しいところです。日本だけが特別だったわけではなく、負けてきたのでそうしたということ。ま、子供を使う時点であきらめが悪いと言うことは大きな汚点ではありました。

このように書くと、よく「でも戦場のギリギリの状況では・・・」というのが出てきますが、そういうギリギリの状況になるまで、それを回避できたターニングポイントが数十回、数百回あったはずです。それをすっ飛ばして「ギリギリの状況では」というのは知恵がなさ過ぎる。
「ギリギリの状況下」での覚悟は持つべきですが、そこに到るまでの知恵、そうならないための知恵を磨く方が数百倍重要です。そこを勘違いするととんでもない方向に行ってしまいます。

この番組の構成はなかなか良く出来ていたと思いますが、少年兵が戦わざるを得なくなった状況になるまでの話しの方が、終戦70周年記念には相応しいように思います。理不尽な要求が突きつけられた経緯、戦わねばならなかった経緯、どうして負けてしまったのか、個人的にはこちらの方が70周年記念にはよいと思った次第です。「戦争は怖いから、悲惨だからやらない」では多分止まない気がします。人類にとって戦争よりももっと莫大な利益を生むこと、誰も殺し合わないことなどがあれば、そちらに飛び付くはずです。例えば宇宙開発や大規模な地域開発などです。ましてや今は戦争は大変利益に見合わない事業になりつつあることは明白です。軍事が全く不要になることはないし、その必要性もありませんが、世界の軍事予算が年間概ね400兆円以上ですから、それらをもっと有用なことに使えないものかと思います。

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平成二十七年葉月三十一日
不動庵 碧洲齋