末席を頂くということ

よく武芸において、武門の門下であるという言い方をこのように言うことがあります。
「それがしは当流の末席を僅かに汚しているだけの身でございます」
私はなかなかこの言い回しが好きで、自己紹介でやむなく武芸をしていることを明かさねばならないときは、半分冗談でよくこの言い回しを使います。

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昨今、バブル後の経済的悲劇を打ち消すかの如く、日本文化の世界的普及、世界的浸透がよくクローズアップされてきています。それはそれでなかなか素晴らしいことだと思い、一日本人としては誇らしくも思っています。思えば日本という国、現存している国家としては世界最古でありながら、先進国の中では戦後に伍した新参者、そしてアジアでは唯一の先進国。なかなかユニークさが際立っています。

個人的には留学をした20歳ぐらいまではどちらかというと左翼的な考え方でなくとも機能国家、例えばイスラエルのように実用主義一点張りのような国家を目指すべきだと考えていたように思います。故に畏れ多いことながら皇室など不要だとか一時期思っていたこともあります。ま、若かったというのもあるのでしょう。あらゆる意味で「強い国家」には憧れていました。

留学から戻ってくると、色々と日本の良いところや悪いところが見えてきた気がします。留学後、数年して豪州にて働く機会があり、合計で1年半ほど勤務しましたが、この辺りで現在の指針の基礎ができた気がします。それまで留学や赴任時に知り合って話し合った外国人たちはもとより、武芸を通じて数十ヶ国の海外同門たちとも交流を持ちました。それらの蓄積だと思っています。

その上で今思うことがあります。
昨今祖国礼賛の風がいささか強いように感じます。「偉大な我が国をもっと誇りに思おう!」というやつです。確かに日本は皇室を基に観れば、世界最古であることは疑いもありません。欠点も多々ありますが、世界的になかなか好感が持たれている民族であることも間違いなく。中国人や韓国人ですら、歴史的なことを抜きにすれば日本人の素行には肯定的であることが多い。世界で明確に反日を掲げている国はたったの3ヶ国、中国韓国そして北朝鮮。それだけでも大したものですが、北朝鮮は人間で言えば精神に異常をきたしているので除外するとして、反日を掲げている国の国民でさえも日本人の素行については肯定的というのはなかなか素晴らしいことではないかとよく思います。

日本人の「祖国愛」というものと欧米圏で言われる「patriotism」というものに、実は私は結構なギャップを感じます。質感的にそれは同一のものではない気がします。故に昨今の安っぽい祖国礼賛がどうにも胡散臭く感じざるを得ません。
うまく言えませんが、「patriotism」は一つの旗を崇め礼を尽すのに対して、日本人の持つそれは日々の生活そのものが祖国の質を高めているという風。いくら皇室や先祖を讃えても自らが怠惰だったり性情が曲がっていたりしていたのでは礼賛は全く意味を為さず。逆に多少の誤解を恐れずに言えば、いくら歴史や皇室を否定していても、先祖から受け継いできているものの考え方、生活を極力受け継いでいれば、それだけで十分に愛国心に通じるものがあると言うこと。我々日本人が欧米人の如く愛国心を喧伝するのは無残というか優雅さに欠けるというか、そんな感じです。日本人が本来持つ愛国心、祖国愛でもいいですが、それは「すること、do」ではなく「為す事、be」です。言葉ではなく実行で体現することです。

正しく為す事をせずして例えば皇室や国家を礼賛すれば、それは国家の誇りに傷が付く。日本国民ひとりひとりが身を慎んで粛々と各々の職務を忠実に行い、和を尊んだ上で初めて国家を誇る、こういう図式が一番似合っているように思います。海外では国によっては「国民の愛国心さえ」勝ち取れば後は何でも良いというところもあります。日本は違います、多分。

今の生活が苦しいとか、社会に不満があって祖国礼賛をするならばそれは即刻止めるべきです。それは日本という国の雅量や気品を損ないます。中国などでは共産党政権に直接批判ができないので主語を入れ替えて(笑)非難するそうですが、それと同類です。もしかしたら新興宗教の類です。ゾッとします。今の生活や社会に感謝して周囲の人たちにも感謝、今ここに生かされていることに感謝する。その年の積み重ねの体現が、多分日本人が本来あるべき祖国愛の姿ではないかと思います。

過激に祖国礼賛し、日本を誇り、日本に対して少しでも歯向かう国家には手厳しい非難の言葉を浴びせる人たちはどんな人が多いのでしょうか。社会に不満のある人もいるでしょうし、生活に不満のある人もいるかも知れませんが、多分一番欠如しているのが「和」ではないかと最近は思います。寛容になるという意味に近いのですが、和して同せずだと私は定義します。無原則に寛容になれというわけではなりません。隠された悪事は暴くべきですし、昨今と言わず、戦前からのマスゴミの弊害などは市民が積極的に糺していくべきですが、それでも和があってのことです。それがあっての日本人だというのが私の信念です。

豊かすぎて感謝がなくなる、と言われています。外国に行ったり外国人と接すればリアルに世界における日本の立ち位置が自ずと明らかになります。日本のモノの豊かさ、心の豊かさがどの辺りか、見えてきます。一歩譲ってネットでも構いませんが、ネットでは「自分が見聞きしたいもの」だけになりがちです。SNSで外国人と交流をしてみたり、交流会などを通じてコミュニケーションを図ってみてください。先進国たる日本ですが、一般市民が諸外国人と接する機会の何と少ないことか。驚くほどに接触がありません。もちろん持ち前の親切さで言葉は分からなくとも助けることはできますが、意思疎通ではありません。相手と意志を取り交わして初めての交流です。話すだけならネットでもできます。昨今は翻訳もネットでできますから難しくないことなら外国語が苦手でも全然問題ありません。

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もう一度言わせてください。日本人の本来あるべき愛国心は言葉でそれ喧伝することではなく、行動でそれ威示することでもなく、日々の生活を粛々と確実にこなし、万事に感謝を抱き、和を尊び、言葉も行いも慎み深くする、そのようなものが体現されたものこそ、日本人の愛国心の精華ではないかと思います。


平成二十八年神無月三十一日
不動庵 碧洲齋