極める

最近、稽古に於いて想うところがある。
段階を踏んで稽古をせねばならないのは言うまでもないが、その人の資質を大成させる要素はこれではないかと思うものだ。
それは
「いち早く死ぬまでに到達すべき境地を理解し、明確にし、それに到達するための手段や理論を発見して取り掛かれるかどうか」である。
恐らくこれは段階を踏んでいく短期目標と較べると長期目標に該当するかも知れない。

これは老成してから見つけたのでは遅いのはもちろんのこと、ある程度の年齢で始めても全く遅いことは言うまでもない。

素早く動ける、驚異的な力を出せるのは体格や年齢に因るところが多いが、それは年齢を経て不可能になる。だからそれは長期的目標たり得ない。(格闘において必要は十分にあるにしても)

例を一つあげると、それは「精度」。
一般に人が恐怖を感じない程度に相手の攻撃をかわすのは概ね1尺30センチ程度が多い。私の経験ではその間合で避けたりブロックしている人が大半だ。
ちょっと上手くなってくるとそれが10センチ程度になる。10センチは概ね拳一つ分。
更に身体能力が高くなると1寸、3センチ程度になる。少々腕の立つ人でも殴ったら「当ったかも」という間合である。
この辺りまでは普通に一生懸命に稽古すれば大方誰でもいつかは到達できるレベルだと私は考えている。

ここから先は多分、稽古の質そのものを変えないと難しい。どんなに時間をかけても縮まないかかなりコスパが悪い。
恐らく辛うじて達人と考えられそうなレベルは間合の見切り1センチ(笑)
ちょっとデキる人には当ったと思うレベル。躱した人は相手の体温の温もりが感じられるはず。風圧などは言うまでもない。アントニオ猪木だったか誰だったか、パンチを繰り出して1センチを極めようとして相手を殴ってしまったという話しを聞いたことがあるが、格闘では双方が激しく動いているため極めて難しいと言える。
しかし1センチを極められたら相手がかなりの速度であっても動くのは1センチなので労力は少ない。言っておくがその避け方も「ぱっと」ではだめだ。「ぱっと」動くとための動きですでに体のあちこちの多くで動きが1センチを軽くオーバーする(笑) ための動きを作らずに1センチを動く(笑) だから稽古の質を変えねばならないと言う。

更にそれを数ミリにするとしたら、どうだろう。
ガラスのテーブルにガラスのグラスを置いて音がしないような動きをするとしたらどうだろう。
1ミリ以下の動き。
既成概念を全部取り払って、人体と心理全部を最初から考え直した上で稽古の手法を再構築しないと到達できないと考える。
これができたら相手の速度はほとんど意味が無くなる。相手の動きもほぼ意味が無くなる。多分。

品質管理でもそうなのだが、ある程度以上に上げようとすると、費用と労力をいくらかけても成果が薄くなっていく。多分武芸でも同じ事だと思う。だから稽古の質そのものを変えねばならないのだが、それを編み出すのも武芸者の重要な稽古の一つだと考えている。

令和弐年霜月七日
不動庵 碧洲齋

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